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このサイトについて

  • Last Modified: 2008年4月27日 22:55
当サイトは95年10月以来アトピー性皮膚炎関連の話題を中心に運営してきましたが、サイト再構築を機会に古いコンテンツから有用なデータの洗い出しをぼちぼちやっています。。。。と書いてもう何年経ったかわかりませんが、少しずつ整理しています。
作り始めるきっかけになったのは、サイト開設10周年の日に書いたエントリーを見ていただければ少しはわかっていただけるかもしれません。ただ、過去データの日付や互換のないフォーマットを変換するやりくちを考えてるだけでも気が遠くなるのですが、今メインで使っているblog機能だけでもメンテナンスは楽になったと感じています。当サイトはMovable Typeというblogスクリプトを使っています。各日付の記事の下の「comment」をクリックすると、つっこみを入れられます。
当サイトの過去の主要なHTMLは、ディレクトリ名を変えて、ここに置いています。(但し、画像表示の崩れやリンク切れだらけですので見苦しいです。相対パスで当時作ってなかったので。。。。。と書いていましたが、SSIの設定がうまくいかず、まったく表示されません。web.archive.orgでのhttp://www.atopic-info.com/の検索結果や、web.archive.orgでのhttp://www.bekkoame.or.jp/~sji/の検索結果web.archive.orgでのhttp://www.bekkoame.ne.jp/~sji/の検索結果をたどれば昔のをご覧になりたい方は見ることができるかもしれません。また、旧の掲示板のデータは退避させました。「ヤブイシャリスト」というキーワードでここに到達された方、これも既にもうないです。まずはじめに「現在の心境」を読んでいただいた後に、膨大な過去コンテンツにアクセスされるほうがいいかもしれません。当面はgoogleのキャッシュで探したりしてみてください。私の稚拙な文章の一部が掘り出せるかもしれません。。。。
リンクやMail、コメント、トラックバックはご自由にどうぞ。
WebMaster:松岡慎治[e-mail:sji@bekkoame.ne.jp]
当blogのRSS:rss_image(XML1.0) rss_image(XML2.0)
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Kinarie&May:MT用Photo Thumbnailer1.20


現在、大阪市在住。

大阪駅に住んでいる訳ではありません。上の地図はGoogle Maps API DocumentationMapperプラグインMap Search Wizard等を参考に埋め込んでいます。blogに所在地で埋め込んで正確な場所を表示しない場合は、こちらを使って座標を割り出してから埋め込むようにしています。 以下のブラウザ(Mozilla Firefox)を使って更新、表示確認しています。とても表示が軽くて便利なタブブラウザで、IEよりも絶対お勧めです。
getfirefox_88x31.png
Mailerはthunderbirdに乗り換えました。
thunderbird_88x31.png
Affelioでの自己紹介埋め込みテスト。

補足

下の「個人年表」を読んでいただければ大まかな症状の経過はわかると思いますが、年齢別に、ステロイドを使っていたときのグラフを作ってみました。グラフ1は、ステロイド使用量、強さの年齢別推移と実際にそれが効いていたと感じていたかの度合いです。横軸が年齢、縦軸が度合いです。数値化してはいますが、絶対的な基準ではないことはあらかじめご了承ください。あくまでこう感じているという目安です。
(グラフ1)

薬は強くなっていくのにその効き目を加齢とともに感じなくなっている曲線になっていると思います。自分の記憶と主観ですが、医療関係者の人と患者が感じている満足度のギャップもこういった感じで開いていると思います。 次に、下のグラフは、横軸は年齢、縦軸の項目は、自分にとってのネガティブ項目のうち代表的なものを同じく自分の記憶と主観に基づいてグラフ化してみました。
(グラフ2)

自分の状況も含んでですが、ステロイドの是非に関する医者対患者の不毛な議論、患者同士での不幸自慢大会、自分の採用した治療方法以外を認めない閉鎖的状況、一般人からみたら明らかに狂っていると感じるような患者の精神状態、暴言、奇行など、患者を取り巻く医師、家族、社会全体に伝えねばならないことはたくさんあります。ニワトリとタマゴかもしれませんが、一般人のアトピー患者に対する誤解、医師のアトピー患者に対する誤解、アトピー患者の閉鎖的状況を少しでも改善できることは何なのかをこれからも考えていきたいと思います。QOL(Quality of Life)というものを総合的に捉えたとき、上記(グラフ1)だけで議論すること(正直私もしてきた)だけでなく、(グラフ2)の要素も含めて患者の治療方針の選択、決断がしやすくなってほしいなと思っています。

アトピー性皮膚炎

blogにする前の主要データです。(xoopsで復刻中)
なぜ難病といわれるのだろう?
今使っている薬はステロイド?
リバウンド症状の時の写真と今
土佐清水病院に関する資料

Profile

現住所:大阪府池田市
血液型:B
身分:ステロイドジャンキー
好きな物:カネ、Mac、Linux
嫌いなもの:宗教、官僚機構、通勤電車、共産主義者、多数決
好きな言葉
「孤高であれ」
「Don't cry. just revenge. The best revenge is to live well.」
(泣くな、復讐しろ。最高の復讐は幸せに生きることだ)」

個人年表(1968~2003)

ここから下はつまらないと思う人はとばしてね。ただの履歴とボヤキですから。
1968年
姫路で生まれる。5歳まで飾磨で暮らす。最近の幼児はこぎれいだが、私はハナをたれていた。
1973年
兵庫県神崎郡福崎町に引っ越し、町立南保育園に入園。
1974年
町立福崎幼稚園に入園。
1975年
町立福崎小学校に入学。視力検査で答え方がわからず、0.2と診断されたが、後に1.5であることが判明。眼科の吉田先生は、さかまつげにより一時的に視力が低下したといっていたが、これはいまだに信じていない。
1981年
町立福崎西中学校に入学。個性的な先生が多かった。1年生の時、原チャリのエンジンをかけて、友達と一緒に職員室にて叱られた。この時の先生の脅しで、高校にはいけないと信じていた。今思い出すと、あのときビビッていたのがあほらしい。2年生のときアトピー性皮膚炎になった。
1984年
県立姫路東高等学校に入学。たいした思い出はない。地元の親の自己満足のためのみにある高校である。エリートとよばれる人間を送り出していると自負してはばからぬ、世間知らずの教師の総合カタログのような学校だった。姫路で一生いなかもんでいるのなら良い学校かもしれない。落ちこぼれの体験をさせてもらったことが、今の私の反骨精神を形成し、伝統、体育会系思想、常識、公、官、現代社会の価値観に対する拒絶は強くなった。しかし、これが自分の向上心の原動力であり、財産である。
1987年
関西大学経済学部経済学科に入学。1回生の時は無難に単位をとれた。2回生の時は、バイトに明け暮れ、授業に出なかった。当然留年寸前の状態まで追い込まれ、4回の時は2科目以上落とすと アウト、第2外国語の中国語や、経済原論もパスせねばならなかった。中国語や原論は普通は2回生で 終わっているべき科目だったので、恥ずかしかった。特に、中国語のクラスは、落ちこぼれのたまり場だった。4回生から8回生までの学生がいたが、全員の顔はわからない。ヘビメタやら、パジャマに 革靴をはいた下宿生がいた。就職活動は、8月まで動けなかったが、当時はバブル全盛であっさりと決まった。現在の超就職難がうそのような、日本中が虚構の繁栄に酔いしれていたのが幸いした。クルマの免許には悩まされた。9月から3月20日まで、半年かかった。授業を休むと留年なので、教習所の予約がとれなかった。3月になって慌てて、教習所に無理やり予約を2日連続で3時間ずつ割り込ませてもらい、免許がとれた。大学も、ギリギリセーフで卒業できた。大学時代に授業から得たことは、残念ながらゼロ。授業は無意味であることが、理解できた。また、日本は資本主義を隠れ蓑にした共産主義国家であり、ウザい官僚機構や群れ社会の優等生であると悟った。
1991年
社会人1年生。東京にいく。メシが高くまずいので、大阪に転勤させてくれとゴネた。
1992年
大阪転勤がかなう。スキーにはまったが、このころからアトピー性皮膚炎の症状が悪化。休みがちになる。
1994年
5月、ステロイド使用を停止。6月~8月の2か月欠勤。12月~1995年3月上旬の3か月欠勤。
1995年
Macintoshにはまる。欠勤、復帰を1か月単位で繰り返し、9月より、5か月の予定で自宅療養にはいる。Web閲覧にはまり、これはひょっとして自分でも作成できるのでは?と思い、いつしか自分のWebサイトを持ちたいという衝動に駆られ、同年10月Webを開設してしまった。
1996年3月~9月
復帰できる状態だったが、なぜか休職扱いとなった。復帰直前の本社での人事との面接はきつかった。会社なんてこんなものと見切ったのもこの時期だ。
1996年9月2日
営業として職場復帰。全国行脚の日々。飛行機と新幹線で国内を行ったりきたりした。
1998年12月~1999年1月末
ヘルペスとブドウ状球菌の二次感染で欠勤。2月から復帰したが、ほんとに営業を辞めようかと考えていた矢先に「内勤で営業支援(マーケティング)の部門に行かないか?」という声がかかった。二つ返事でOKした。
1999年4月1日~現在
営業畑から内勤になり、現在に至る。

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