- 2004年2月16日 10:33
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カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルさんのサイトに竹中ナミさん講演会 一宮で開催!という興味深いエントリーがあったのでメモ。ラッキーウーマンの著者でプロップ・ステーション代表の竹中ナミさんの講演会の案内が掲載されている。プロップ・ステーションのサイトを読んでいくとchallenged(チャレンジド)というキーワードが出てくる。
challenged(チャレンジド)というのは「障害を持つ人」を表す新しい米語「the challenged」を語源とし、障害をマイナスとのみ捉えるのでなく、障害を持つゆえに体験する様々な事象を自分自身のため、あるいは社会のためポジティブに生かして行こう、という想いを込め、プロップが提唱している呼称です。
正直なところ、このパターンの「ポジティブシンキング」に向かわせる言葉や新語、造語というものに私は胡散臭さを感じる。有無を言わせずしんどい自分に鞭打つ或いは苦役を強いるような感じと言えばよいだろうか?
おそらく世の中がこういう方向に向かってほしい、あるいはそういう世の中にしていきたいという意志表示を含む理念のようなものとして掲げられているものなのだとは思うが、自分の中には「うん、これは確かに大切なことなんだろうな」と感じながらも、やはり無条件に「うん、うん」と頷けないのは私が弱い、あるいは甘えただからかもしれない。人間いつもそう強くはないもんだ。日常生活や仕事においても、目標なりノルマというものがある。もう少し言葉を変えれば課題という人もいるかもしれない。課題や目標を達成したときの達成感に喜びを感じることができるコンディション(肉体的にも精神的にも)を維持できているときにはこれはプラスに働くが、そのコンディションが崩れたときには歯車が狂ったように苦痛や自身への厳しい制約や障壁となり、自分を壊す刃ともなりうる。おそらくそれをも見据えての想いがこもっているのだろうなと勝手に想像してみた。
極限状態、絶望的状態でも「Never give up」という方向に考えを切りかえ、その行動を維持するというのは消耗することであるが、現実直視、現状認識がきちんとあるという条件が満たされていて始めてそうできることで、それが自助努力なり自主自立に繋がるのだともなんとなくではあるが理解はできるが、これの実践と継続というのはほんと難しいものなんだと感じる。
おもしろき、こともなき世をおもしろく、すみなすものは心なりけり
上記高杉晋作の句にも同じような意味が込められているのかもしれない。ハッカー(悪さをするクラッカーではなく、優秀なプログラマ)文化にもこれと同じような格言のような言葉があるのを思い出した。
Eric S. Raymondの「ハッカーになろう(山形浩生氏邦訳)」
この世界は解決を待っている魅力的な問題でいっぱいだ
にも同じような意味があるのかもしれない。創造性や、物事を具体化する行動力の源になるものは何なのか?ということを考えさせられた。
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