- 2004年2月18日 00:57
- アトピー
一昨日のエントリでカイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルさんのエントリにトラックバックを送っていたら、チャレンジドに関する丁寧な解説が追加されていた。自分の想像にほぼ近い説明がされており、非常に興味深く読ませていただいた。
【用語】チャレンジド=挑戦を受けた人(1)の文中で、竹内ナミさんの解説が引用されている。引用の引用(JFKまで遡れば更なる引用になるかも)で以下に引用。まずJFK(ジョン・F・ケネディ)の場合。
あなた方が国家に何をしてもらうかを期待するのではなく、あなた方が国家のために何をできるか、それを私は問いたい。
確かJFKは上記のような言葉で泥沼化したベトナム戦争に疲弊し二分化していた米国民の価値観を超えて奮起させたと記憶している。(JFKだけでなく、JFK陣営の選挙参謀の描いた戦略のお手柄だったかもしれないが。。。)
次に、竹内ナミさんの解説の引用。
ところで、「チャレンジド」って知ってはりますか?
これは、障害を持っている人を表すアメリカの新しい言葉で、正式には「ザ・チャレンジド(The challenged)」といいます。
「神から挑戦という使命や課題、あるいはチャンスを与えられた人々」という意味がこめられていて、15年くらい前から使われはじめました。
「すべての人間には、生まれながらに自分の課題に向き合う力が与えられている。しかも、その課題が大きければ大きいほど、向き合う力もたくさん与えられている」
という哲学にもとづいて生まれたそうです。
アメリカでは「チャレンジドが働き、タックスペイアー(税を払う人)になる」というのは当たり前のこと。(略)
(プロップ・ステーションの)キャッチフレーズは「チャレンジドを納税者にできる日本!」
いずれも「よっしゃあ、わしもやったる」と奮起を促す言葉ではある。そして、言い回しに少しずつ違いはあるにしても、多くの偉大な人は同じ事を言ってるような気がする。それを分かりやすく自分の言葉とカイパパさんがご自身の経験則から詳しく解説してくださっていることに感謝申し上げたい。
そして、その歴史的蓄積を活字、あるいはテキストデータとして我々が読めること、自分で考えるヒントになること、更には自分の今後の生活に与えるメリットも大きいことも認識している。
実は自分がステロイドを止める決意をしたときも、根底では(屈折した社会全体への復讐心も混じってはいたものの)自分の闘病姿勢として自分を鼓舞する原動力になっていたことは共通であり、こういう感覚に何度も励まされたことは骨の髄まで染み付いている。よってカイパパさんがおっしゃることは痛いほどよくわかるのだ。
それでも差し引いて「やっぱりしんどい。」という部分があるのである。ましてや肉体的、精神的にボロボロの状態のときは、奮起する気そのものがそがれる「ネガティブスパイラル」によけいに陥ることもある。平常時においてさえ、これだけで奮起できるほど単純には割り切れず同時に戸惑う自分もいる。そんなに大衆の心を打つ必要があるのだろうかとか、裏を返せば、そこまで情熱を持ち、自分を、他人を鼓舞し続けねばならなければならなくなる状況というものがよけいに哀しくなるのである。思い通りにならず一生涙し続けるのか、「そんなのは嫌だ。」と何とかしようと努力することに、レベルや量に個人差はあったとしても疲れるのも人間だ。そして、その限界を知ることもまた頑張りすぎてつぶれてしまうのを防ぐバランス感覚も同時に必要なのかもしれない。
「チャレンジド」という言葉は、竹中ナミさんのオリジナルではなく、最初に紹介した人でもないでしょう。しかし、ナミさんは、チャレンジド・ジャパン・フォーラムを企画・成功させた人であり、彼女が設立したプロップ・ステーションは、これまでの「保護の対象として障害者を見る福祉観」とは異なる、IT技術を活用したエンパワメントを実現しています。彼女が、「チャレンジド」の言葉普及の立役者であると思っています。
そして、その疲弊的状況があろうがなかろうがお構いナシなのは自然界の食物連鎖の中の不文律である「弱肉強食」。これは例外でもなく人間社会でも同じ。疲労が回復するまで誰も待ってはくれない。人類がいくら「社会的動物」としての知性、理性を持ち合わせた高等生物であったとしても、人類の英知を以ってしてもやはり「弱肉強食」ルールから逃れたくてもそうはいかない。
「属している階級や住んでる世界というのは人間が勝手に考え付いたカベで、そんなものは存在しない」と信じて疑わない甘々な人には決して見えない(そもそもその現実を直視しない)ことだが、それは単なる希望的観測というその人の願望であり、残念ながらこれは嫌でも存在する。(というか、そんなの存在しない、或いは存在してはならないという考えが発生している時点で、そのよからぬものは現実として存在していることになる。)「世の中は決して平和ではない。そして、公平でもない。」だからこそ、弱者は強者以上の(あるいは自分で認識している以上の)自立心と行動力、それを裏付ける能力を磨く必要があるということが的確に説明されていると思う。「芸は身をたすく」よりも深い。そして、その気になれるかどうかは、個人の資質、性格でも差がある分、その差を埋めるべくサポートするサービス体制というものが必要なのも頷ける。
私の勝手な解釈は逆説的すぎかもしれない。私の想像できる以上のところまでを見切って、もしくはもっと先を既に見通した上の解説なのだとも感じる。或いは私が今後関わっていこうと考えていておぼろげながら思い描いていることを既に具体的な形として見えるようにされている竹内ナミさんの活動、それを我々にわかりやすく説明してくださるカイパパさんのblogを見つけることができてよかったと感じている。なんとなく支離滅裂な感想になってしまったが、次回のエントリ以降の解説も楽しみだ。
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