- 2004年1月 3日 00:56
- アトピー
今日大阪に戻る予定だが、寝正月でジーンズが入らなくなったらどうしようと考えながら布団に入ってうつぶせでこのエントリを書いている。
昨年の正月も同じようなことを書いているのだが、実家の布団で寝ても、起きたときにカサブタやフケが散乱していた9年前の闘病当時が嘘のような快適な状態で眠れた。敷毛布、掛け毛布で肌がちくちくすることもない。これだけのことに嬉しさを感じられるということは果たして重要なのか?ということを疑問に思われる方もいるかもしれないが、これってとても重要。
例えば、友人知人の家に泊めてもらったとしよう。以前なら、自分の部屋以外のところで眠るということそのものが怖かった。尋常ではない量のカサブタやフケが泊めてもらった部屋の布団や床に飛び、その家主(の配偶者や家族)に迷惑をかけたくないという抑圧感があり、熟睡もできなかった。これが実家であっても同じだ。その怖さがゼロになったことはとても気が楽なのだ。(個人旅行などの宿泊施設などの場合は、自分の金で自分の部屋を使う意味ではその気遣いの必要がないことは別。)
おふろ上がりの痒みと乾燥による全身のひび割れの激痛がこの寒い時期にも関わらずないことも同じく嬉しいことなのだが、これらのちっぽけでささやかな快適さを獲得するために自分が捨ててきたこと、捨てざるを得なかったものもいっぱいある。帳尻はきっちり合わないと気持ちのよいものではない。等価交換というものが法則なのかはわからないが、ここまでくるまでのコストは自分の今後の自分の人生における満足感、充足感などのプラス要素としてこれからもきっちり利息つきで回収していきたいと思う。私にとっての利息が何に該当するのかはまだわからないが。
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