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マイノリティの価値観、その多様性

[2004/8/31追記]ここから
このエントリは2004/5/29、つまりだいぶ前に書いたものですが、コメントスパムが届いたので削除して、エントリを上書きした時に自動でトラックバック・ピープルにPingが飛んでしまった。カテゴリで更新通知を自動で行なう設定をしていたが、「新しくエントリを書いた時のみ」手動でPingを送るほうがよさそう。(使いみちを誤った悪い例です。すみません。)
[2004/8/31追記]ここまで

私は多数決は好きではない。日常会話においても「多数決こそ民主的なのだ」という短絡的な台詞には辟易することがある。多数決はあくまで物事を決める手段の一つであり、多数が占めた決定事項は守りつつ、残念ながら少数意見として採用されなかった考えや提案、その案を主張した人も尊重するというのが大切であると考える。

逆に、自分の意見がたまたま少数意見で通らなかった場合でも、それを卑下する必要はない。要は色んな意思決定や方向性を検討していくなかで、その時点時点で多数に入るケース、少数に入るケースが、いずれにおいても対極側の意見をお互い尊重し、耳を傾け、熟慮することを心がけている者が揃っているという環境ではじめて多数決がそこそこ有効に働くからだ。

そこには自由な雰囲気がいるが、自由と無制限は同じではない。先日当blogで「ちょっと疲れ気味かな」というエントリで書いたとおり、まだそのような理想的な状況には至っていない。このエントリではだいぶ高山さんをサンドバッグにしてしまったが、私も気をつけねばならぬことがある。ちょうど昨日の高山さんのエントリに示唆に富んだ記述がある。

 私が市民活動を行っていくうえで、一番気をつけていることは、人助けをすることによる優越感を味わうためにするのではないということ。これはただ単なる、マッチポンプや漁夫の利、に近い部分もあれば、人助けをすることで自分の問題をもみ消す行為にも近いのかもしれない。

 私の場合、アトピーの問題についての市民活動をしようとしているのであるが、私が偉いとか、目立ちたいとか、カリスマになりたくて活動するのではない。あくまで、抱えている自分の問題を次の世代の人には二度と味わってもらいたくないだけなのである。そのために、患者同士の傷のなめあいをするのではなくて、問題を少しでも解決できることを行っていこうというだけなのである。


高山さんが月一回オフの物理的場所、機会を提供してくれるようになるまでに、私の目に見えないところでの高山さんの粘り強い交渉があったからこそ、自分なりにそこでは言いたいことがあっても60%くらいをおさえるようにしているが、それでも時々(いつもかな?)結論を急ぎたくなることがある。これを如何に自分の中で制御できるかが難しい。

自分の意見と同じイエスマンばかりと関わっていれば居心地はよいが、それは接待を受ける単なる「お客さん」としての存在でしかなく、まさに「裸の王様」か某新興宗教の教祖と同じだ。私もこうならないよう自らを律した活動をせねばならないと感じる。
同じく以下の引用部分に重要なことが言及されている。

 誰かかわりに、アトピーの問題を真剣に解決するための活動をやってくれんもんかなぁと、思いつつ、まだ会の中でも、方針に対して議論が逡巡しているところを見ると、同じ事を繰り返すことになりそうだなぁ、とも見えてしまうし、困ったものである。

(中略)

 自分本位を基本として、自分の出来る範囲でボランティアにかかわるということは一番大事なことなんだと考えている。多分、そういう思いがない状態で、かかわることが会を私物化したり、次の世代に活動を受け渡しが出来なかったりするのだろう。なかなか難しいことでもあるが自分への戒めとしても今、ここに書いています。

裏をかえせば、「アトピーの問題を真剣に解決するための活動をかわりにできるという奴がいたらやってみろ。ほんと難しいんだぞ!オレの真剣さと同じく先を見据えて深く考え、他人の意見をさえぎらずバランス感覚を持って動けているか?少なくともオレはそれをやろうと思っている。」という自信と意気込みが見え隠れするが、これは悪いことではない。厭味ではなく大切なことだ。真面目に冷静に取り組もうという姿勢から出てくる言葉であり、そこには高山さんなりの苦悩も読み取れる。
「プロジェクトの最終ゴールは成果が出て解散すること」なのは確かだが、そうなるまでは活動を継続せねばならない。その継続性は1人では無理。また、1人に与えられた時間は限られている。

「ここでオレが何か言うと誰も話さなくなる」それを回避することを意識しつつ、如何に参加者個々人の思考が停止せず、建設的な異論、苦言が出てくるようにし、それが会の活動に具体的な形として目に見えるようになるか?の試行錯誤の繰り返しである。

高山さんにしろ私にしろ、サイトのブランドイメージが既に固定されている。このブランドイメージが会の参加者の今後の活動の足かせにならない環境を整える努力を継続する必要があると思う。

普通は言葉を選ぶところだがあえて書く。「チョン」「エッタ」などと同じく「アトピー」という言葉が日常生活の会話のタブーとなってはならない。我々はかつて「えせ同和行為」を行うならず者集団と同じ評価を社会からを受けかねない言動をおこなってきた負の面も持ち合わせている。(このことだけでまた別の機会にきっちり書きたいと思っている。)

「アトピーの苦しさ」に嘆けば人は同情する。しかし「ステロイド被害」を主張しはじめれば相当嫌われる。これはこの10年で経験的にわかってきたことだ。

アトピーの抱える問題はマイノリティの中に分類される。その「普通とは違う」という状況の人々は全人口からみれば少数であったとしても(増えてると思うが、増えてることはまた困るのであるが)、確かに存在する。また、その中でも個人個人の考えや価値観が人数分ある。その価値観、個々人の多様性を尊重しつつ方向性を見出すのは更なる努力を必要とする。

これを踏まえてかつての古いコンテンツもそのまま現在のサイトデザインにあわせて整備をしようと思いつつ作業が進んでおらず申し訳ないが、我々の負の10年の失敗を繰り返さず、うまく社会と関われるように次世代に受け渡すための忍耐が求められているいい機会と考えている。参加者個々人のリーダーシップがうまくかみ合うようになるまで時間がかかるだろうが、投げ出さず、逃げないようにしたいと思う。

[2004/8/31追記]
上書きしたのでせっかくの機会だ。上記エントリを書いてからだいぶ日が過ぎているが追記したいこともある。

この時点から正直何度も頭を打っている。個人が世の中に情報を発するということといっても、独り言のようなものから、有用な情報を共有したいという動機に基づくもの、世の中に協力を要請するものまでいろんなものがある。

一般の人にもアトピーというものの理解を求め、患者の現状を知ってもらいたいという一番大切なことを伝えたいという思いがあっても、それがこの一年空回りして「船頭多くして舟山に登る」という状況に陥っている状況でもある。

このエントリを書いた日以降も実質はその中で同じ患者でもそれぞれの考え方の違い、物事の進め方に不満が出てくることがあった。それが悪いことだとは思わない。次につながるのであればの話なのだが、「今のやり方では続かないのでは?」というのがいま自身にも問われている時期でもある。

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