Home > Archives > 2004年1月 Archive
2004年1月 Archive
高山家Blog
- 2004年1月30日 14:25
- アトピー
高山家さんがblogを開始。開始後1週間で当面練習のようだが、これでまたアトピー関連個人サイトのblog化が一歩進む。高山家Blogに随時更新されていくだろう。
Blogは単なる日記サイト?
私は高山家ホームページにこそ情報は書かないものの、今まで伝えたいことはいっぱいあったのだ。しかし、ホームページに公開してもメールでの一方的な意見を受け取らされたり、公開が簡単な掲示板では一方的な誹謗中傷を受けかねないため結局ホームページや掲示板での発言はあきらめたのであった。今までインターネットのホームページは双方向性と思われていたのだが運営してみると言われっぱなしの言いっぱなしであったのだ。
多くのアトピー患者サイトが登場しては消えていったが、blogでのサイト間の情報の広がり方や個々の思いなどの共有形態が旧来のWebとは違う質のものになると思う。既にアトピー患者サイトを持つ人にそのメリットが享受できるよう微力ながら応援したいと考えている。
- Comments: 0
- TrackBacks: 0
銀粉パフォーマー
- 2004年1月28日 20:15
- moblog

- Comments: 2
- TrackBacks: 0
当サイトのサーバ移転計画
- 2004年1月25日 21:19
- アトピー
当サイトのサーバ移転を計画している。
ドメイン取得維持代行+ディスクスペースのホスティングでベッコアメのサービスを利用してきたが、ディスク容量がすでに50MBを超えてしまっている。現在のサービスメニューによる課金を大幅にオーバーし、月3800円固定ではなくなってしまったことでのサイト維持が困難になってきています。ということで、データの移転をそろそろ本格化すべく水面下で動いています。
大まかな計画は以下の通り。
(1)atopic-info.comのドメインのレジストラの移転。
(2)新しいサーバへのデータ移転
(3)DNSサーバ情報の切り替え
(4)現在のホスティングサービスの解約
上記(1)に関しては、明日0:00以降に操作を行い、1月中に終了させる予定。
(2)に関しては、(1)の終了後、移転先を見つけてデータを移行。このときのDBバックアップ、スクリプトの移転、DBリストア、動作確認を行う。現在と同じ動作を確認できるまでの試行が続くと思われる。
(3)に関しては、移転後のレジストラでの設定になるが、これはそう難しくはない。うまく設定できれば48時間くらいで切り替わると思う。(4)に関しては、現在のホスティング業者のサポートと連絡をとりながら上記(1)(2)(3)ができるだけスムースにいくよう努力する。サポートも今のところ協力的にアドバイスいただいている。
私にとっての難関は(2)(3)におけるホスティングか自営かの決断である。現在のドメインでの運用で自営の場合、固定のグローバルIPアドレスが必要になる。また、DNSサーバも自営で立てる必要がある。その分、blogスクリプトのphp+MySQL化、Image:Magickなどを入れた画像データのサムネイル表示対応など現在使えていない機能を利用できるメリットがある。ホスティングにした場合、sshが使えるか?php+MySQLはOKか?現在のドメイン持込OKか?などの自分がほしいと思っている機能が揃っているかと課金のバランスを考慮に入れる必要がある。
自営にした場合、現在の自宅サーバのXOOPSをいったん全部削除、サーバそのものをもういっかい綺麗に作り直し(OSそのものも再インストールし)、movabletypeで再構築にする予定。この場合、ダイナミックDNSで利用しているatopic.ath.cxというドメインが不要になり、atiopic-info.comというドメインでサイトのデータを一元管理できる。ホスティングの場合の候補はだいたい3社に絞っている状況である。
HDDの容量を気にしなくてよくなるメリットが大なので気持ち的に自営にしたいほうに傾いているのだが、正直まだ迷っている。いずれにせよ、今年度末には移転が完全に終わるという目論見でマイペースでいこうと思う。
- Comments: 0
- TrackBacks: 0
2月の高山家さんのオフ会
- 2004年1月24日 20:26
- アトピー
二月の高山家さんのオフ会の日程の案内が出ている。以下概要メモ。
日時:2004年2月21日(土曜日)13:00から
場所:神戸市長田区海運町カトリック鷹取教会内
たかとりコミュニティーセンターの和室(食堂の二階)
下記地図を参照のこと。

詳細はここを参照いただきたく。
(1/25追記)
日程再調整中との連絡あり。
2月22日(日)または2月28日(土)に変更になりそう。
- Comments: 0
- TrackBacks: 0
自分のサイトが死刑宣告を受けたら?
- 2004年1月19日 04:08
- その他
悪徳商法?マニアックスがgoogleの検索結果から表示されなくなっている。いわゆるgoogle八分の刑というものなのだろうか?経緯は「悪徳商法?マニアックス」サイト内の悪の最新情報 2004年1月15日(木) 「googleから、削除された理由(わけ)」および株式会社ウェディングに関する情報を募集していますに詳しく書かれている。スラッシュドット・ジャパンにもGoogle Japanがクレームのあった検索対象を結果から除外というタレコミ記事が公開されている。昔「ネット死刑」という言葉があったが、ロボット型の検索エンジンの雄で検索結果が出てこなくなるのはそのサイトを利用する者としても困るし、サイト運営者にとっても困る。google Japanそのものが使いやすいからこそ、その検索結果にも信頼をおいている訳だし、そのしくみに乗っかってサイトを作る人や企業がいる訳だが、検索結果にフィルタリングがかかるというのは、サイト運営者個人にとっても厄介だ。言いたいことを言えなくなる。
私の場合、今のサイト構成にするまでに、「ヤブイシャリスト」というHTMLを削除せざるを得なかったことがある。当時幾度となく法的圧力があったが、ファイルを消すことでサイトを存続させることはできた。当時の場合は、医師→コスモスネット→私が契約しているプロバイダーという流れでの削除要求や、医師→医師の弁護士→私の契約しているプロバイダーに削除要求というパターンであった。当時の簡単な経緯はこれ(当サイト内の古いHTML「せこい奴ら」)。但し、これは1996年当時のことで、現在の「悪徳商法?マニアックス」さんのケースとは単純には同列にできるレベルでもないです。似たようなことはずっと前からと起こってるということとして当サイトに最近アクセスし始めた人には知っておいて頂きたい。
「悪徳商法?マニアックス」さんの場合は、検索エンジンでの検索結果に出てこなくなっているということでパターンは違うが、事実上の「ネット死刑」に近い。googleだけが検索エンジンではないが、ここに検索結果が出てこないというのは深刻である。他の強力なライバル検索エンジンが無数にあることが望ましいのかもしれない。
悪の最新情報 2004年1月19日(月)「サポーター募集」
さて、1月6日、1月15日のトピックスで取り上げたように、当サイトは、googleと言う権力を悪用する何者かにより、 google ひいてはインターネットから追い出されてしまいました。このことは、悪徳商法に関する情報を共有することを至上命題としている当サイトとしては、黙認出来る状況ではありません。かといって、既に google に死刑宣告を受けた身で出来ることは限られています。そこで、「地球のみんな、ほんの少しでいい、オラに、オラに元気を分けてくれ~!!」って感じで、サポーターを募集したいと思います。
まあ、サポーターと言っても、特に難しいことは、ありません。このページにリンクをはっていただけるだけで結構です。そして、出来ればサポーター登録もしてください(別の言い方をすると、相互リンク)。もし、よろしければ「株式会社ウェディングの情報募集」のページもリンクしていただけると、助かります(伏字なんてヘタレたことは言わず、是非実名でリンクしてください)。
こういうときに、個人のサイトである私のサイトが役に立つとは思わないが、超微力ながらサポーターズ・リストに登録申請した。
動機は単純、私の知人がある悪徳商法にひっかかったとき、悪徳商法・サイドビジネス会議室の情報を参考にしてその業者の被害を事前に食い止めることができた。(クーリング・オフができて、金銭的被害をゼロにできた)ということがあったからである。また、アトピー患者というだけで、悪徳業者にとっては「カモ」である。そういう悪徳業者に対抗しうる知恵や情報源として役に立つ当該サイトを応援するのに理由は要らない。
(1/20追記)
既知の情報であるが、興味深い記事を見つけたので参考まで。
京都の宝石販売会社が脱税 2億7000万円 国税局が告発 (京都新聞)
大阪国税局は二十一日までに、三年間で七億円近くの所得を隠し約二億五千七百万円を脱税したとして、法人税法違反の疑いで京都市の宝石販売業「ウェディング」と、実質的オーナーの中坊進二元社長(37)=同市中京区御幸町通御池下ル=を京都地検に告発した。
とか、
京都府警警部補を収賄容疑で逮捕 (京都新聞)
京都府警五条署の警察官が、京都市内の宝石販売業者から、警察の摘発を免れる方法を教えた見返りに、多額の現金と商品券を受け取っていた不祥事で、府警捜査二課は二十日夜、収賄の疑いで同署警備課係長(警部補)の浦窪聖一容疑者(49)=京都府相楽郡木津町相楽台六丁目=を、贈賄の疑いで京都市下京区の宝石販売会社「ウェディング」社長の中坊進二容疑者(36)=京都市中京区御幸町通御池下ル=と専務の藤川吉昭容疑者(34)=京都市東山区祇園町南側=を逮捕するとともに、五条署や同社など十五カ所を捜索した。府警は同日付で浦窪容疑者を懲戒免職にした。
こういう情報を記事にした京都新聞に対してウェディングは名誉毀損罪で訴えたんだろうか?
その他、株式会社ウェディング関連のクリップ(参考URL)
悪徳商法?マニアックス内の掲示板の「株式会社ウェディングからの電話勧誘」というスレッド。
IGALOGさんの1月15日のエントリ「悪徳商法?マニアックスさんが訴えられるとか」に記載されている電話勧誘…(長文ごめんなさい)という記事。
- Comments: 0
- TrackBacks: 1
師匠とカレー
- 2004年1月17日 14:14
- moblog

- Comments: 0
- TrackBacks: 0
久々に明石病院に行ってきた
- 2004年1月13日 00:26
- アトピー
土曜日に明石病院に行ってきた。診察でも検査でもなく、何年か振りに理事長と雑談。私が明石病院で診察を受けた一番最後の日は2000年の5月頃だと思う。かれこれ3年半ぶりになるが、元気な私の姿を見てほっとされていたようだ。特に明石病院への用事はなかったのだが、二時間ほど近況の情報交換をしてきた。病院を後にして、吉野家で「カレー丼」が出ていたので食べてきた。生卵をかけて食べたが、カレーの味が薄くなってしまった。カレー丼を食べるときは生卵はいらないかもしれない。玉ねぎがたっぷり入っていたのは嬉しかった。

- Comments: 0
- TrackBacks: 0
ふたたび「泣くな、復讐しろ」と出会う。
- 2004年1月10日 02:04
- アトピー
5日の会社帰りから、体の異変に気づいていたのだが、いつもの帰宅時と比較して、全身から何か力が抜けるような感じ(力が入らないともいう)とふらふらする感じで自宅に着いても疲労が取れず、翌日からも同じであった。12月は半ばまで咳が止まらなかったが、今回は咳は出ないがどうも体調が思わしくなく、6日から9日まで休んでしまった。医者で診て貰ったら単なる風邪だったのだが、寒さが強くなると一気に弱るというか、風邪を引きやすく、また一日で治りにくくなってるのも若いときとは違うが、暖かくしてぐっすり眠った。幸い回復して夕方には散歩できるようになったので、本屋に向かった。
当サイトで「宿泊拒否問題のその後」のエントリ後半で大平光代さんの書籍「だから、あなたも生きぬいて」を読もうと思うと書いていたことだし、この週末で読めるかわからないが読んでおこうと思い購入。結局帰宅後の3時間で一気に読んでしまった。おかげで金曜ロードショー「アルマゲドン」を観れなかった。著者のバックグラウンドが地元の関西であり、文中の話し言葉も普段我々が使ってる関西弁であること、実際に口に出されてる大平さんの台詞、家族や友人の台詞と当時の大平さんが心の中で呟いていた台詞で表記を「」と<>で分けて書かれていて読み進めやすかったのも幸いしてか、短い時間で読み終えることができた。人間には人数分のそれぞれのバックグラウンドがあるが、この著者とは違うバックグラウンドで生きてきた自分の35年を振り返りながら、何か学び取れることはあるだろうかという思いで読み進めていった。私の読解力、洞察力はさほど優れたものではない。私が十代の時に読んでいれば違ってたかもしれないが、涙は一滴たりとも出てくることはなかった。それだけ今現在には絶望感がないのかもしれない。(だからといって当時の屈辱、絶望感を忘れたことはないし、今後もそうなのだが。)しかし以外と共通項はあった。若いときの絶望感や理不尽な状況で直面することだが、大平さんの場合は「いじめ」が端を発している。私の場合は「アトピー」という病気になってしまった当時の絶望感、ステロイドを切る決意をした時の医師や社会への復讐心など。驚いたのは、第五章の転機の最後のほう。大平さんと養父、大平浩三郎さんの会話の部分での大平浩三郎さんの言葉。以下引用。
「だったら、復讐をしたらええやんか、でもその方法を誤ったらあかん。もし相手に危害を加えたり、陥れたりする方法で復讐したら、傷つけてしまった相手は二度と元に戻れへんし、自分自身にも跳ね返ってくる。それよりも、最大の復讐は、自分が立ち直ることや。そして、なにか資格を身につけなさい。例えば、もし憎い相手が簿記の三級の資格を持っているなら自分は二級を取りなさい。相手が二級なら自分は一級。そうすると相手を追い越したことになって気持ちもすっとするやろうし、自分のためにもなる。これも立派な復讐とちがうか」
私は当サイトで自己紹介「about this site」に好きな言葉として
「Don't cry. just revenge. The best revenge is to live well.」(泣くな、復讐しろ。最高の復讐は幸せに生きることだ)」
というアイルランドの諺を入れている。95年のサイト開設当初の古いHTMLの文中にもこの言葉はさりげなく入れていたが、今回読んだ本にも言い回しの違いこそあれ、またもや同様の言葉が出てきたのは正直驚いた。私の場合、最初にこの言葉が好きになったのは、落合信彦の著書を読んでいた学生時代まで遡る。「狼たちへの伝言」だっただろうか?これも確か3まであったはずだが押入れの中の本棚をひっくり返してまた読んでみよう。
私自身、大平さんほど自分の能力を最大限まで使って生きぬけてはいないが、大平さんの言葉を借りるならば「同じにおい」というものを勝手ながら嫌でも感じてしまう。でも、また、当サイトにたどり着いてしまった(小中学生はいないと思うが)アトピーで学校でいじめにあっている人にも一読をお勧めします。親が強制的に子供に読ませても意味はないような気がするが、せめていつでも手に取れるようにさりげなく子供部屋の本棚においてあげておくのはいいかもしれない。勉強はいつでもできる。また、一生勉強は必要。これは健康な人でも病気の人でも同じ。また、そうしたいとかこうなりたいと自分が求めることができる環境というのは、自分で掴み取るものだというのを再認識できる。
同じく正月に三夜連続でみたゴッドファーザー。ドン・コルレオーネの三代記だが、三作とも二代目のアル・パティーノが演じるマイケルの視点に立って観ると、シシリー系マフィアのドンという呪われた家系に生まれた自分、ファミリーを守るため、ファミリーを合法組織にするためにあらゆる努力(敵対勢力との抗争だけでなく、身内も殺めねばならなかったことも含むところが悲しいが現実を突いているかも)をする自分の苦悩が見て取れる。シシリー系やコルシカ系のマフィア社会というものが形作られる過程、歴史的背景そのものに私は興味はないが、結局三作を通してファミリーは存続こそすれついに合法組織にはならず社会の中枢に組み込まれていく様、ドンという立場そのものの重圧、ファミリーを守るための血なまぐさい抗争などが描かれていている。マイヤー・ランスキーという実在のユダヤ系のマフィアのボスは、そのビジネスセンスで激動の時代を生き抜き、生涯を通して一度も投獄されていないが、ランスキーの生涯も同じようなものだったのだろうか?と想像したり。
よく映画評などでは、ファミリーを守る人間愛、家族愛について云々が語られていたりする作品ではあるが、全体を通したストーリーには後味の悪さが付きまとう。特にこの映画の中で出てくる街の中のマフィアではない名もなき人々の「見ざる」「言わざる」「聞かざる」的な弱さ、醜さだ。そうでなければ生きていけない社会の厳しさ、マフィアとの癒着を抜けられない上流社会の大物を懐柔しつつ、肥大し続けるマフィア社会の陰湿さ(特に殺しのシーンはどの場面でも日常の何気ない描写の中からスマートに行われる。周到に準備され、失敗なく行われる前後に関わる、または関わらざるを得ない貧しく弱い一般人。)彼らの沈黙に嫌悪感を感じながらも、自分の生きる現代もおんなじだと感じる。人類の歴史が始まって以来ずっと繰り返されていることで、それはなくなることはないだろう。この映画を観たときに、善悪の差こそあれ、人間一人一人は本質的には同じような心情的醜さ、陰湿さと良心のせめぎあいや重圧、周囲の悪意と一生背中合わせなのだと感じた。
それを時にはやり過ごし、時には真っ向勝負できるように如何に生きぬくかということを年頭から考えさせられている。
- Comments: 0
- TrackBacks: 0
フランダースの犬の結末は美しいのか?
- 2004年1月 4日 01:53
- アトピー
35歳にもなって恥ずかしい話だが、私はフランダースの犬の結末がどうしても好きになれない。(作品が名作か否かは別の話。)ネルロが「パトラッシェ、僕もう疲れた」と言って死んでしまうところは、かわいそうすぎるという感じや、弱った幼い一人の子供を過労死、凍死、飢え死にを一度にさせる悲惨な結末への理不尽さしか感じられず、私にはどうしてもそこに感動というものを持てないのだ。
童話はかくあるべきなどお節介なことは言いたくはないが、この物語を読んだ人にこの作品の筆者は何を期待していたのか今でもわからない。「どんな最悪の状況でも一番悲惨な環境下にいる人の魂を神さんが救ってくれるのだ」という信心深い人向けの心のよりどころをわかりやすく教える意図があるのかなとは想像するのだが、「そんなもん嘘。不満をこぼす人に我慢を強いる方便に過ぎん」というのが私の本音である。
私自身が無神論者ゆえかもしれないが、死んだら全ておわり。見えんもんは見えん。おらんもんはおらん。言うまでもなく神や仏などは存在しない。「生きている間」に自分にとって良い結果を得ることがもっとも大切であり、そのためには他責、他人依存は危険、決断は自分、最悪の状況では何に縋っても無意味、それより最悪の状況でも活路を見出す強さ、機転、工夫などにエネルギーを注ぐのが最優先。
そのための自分の決断過程、行動に納得性を持つのに神さんや仏さんが横入りする余地などなく、それは最も無意味であると信じて疑わなかったし、いまでもやはりそう思う。
必要なのは現実直視と、そこから何ができて何ができないかを知ること。また、成功体験や失敗体験から自分の強さや弱さを把握し、努力や学習したり悩んだりすること、難題を一つ一つ克服していくことでしか、達成感や喜びなどの結果は得られない。また、それは死んだ後なんかには決して得られないのは紛れもない事実。
それを捻じ曲げて最初から「負け犬根性」を叩き込むこと、「何とかしようという意志や向上心」をそいでいることは諦めと惨めな結果しか残さない。つまり少ない強者が多くの弱者の思考を停止させて、従順な群集や大衆をコントロールする方便に利用しているだけで、それは哲学でも思想でもないただの悪意に満ちたまやかしなのだと感じている。
あとはお父さんお母さんが自分の子供に「人には優しく」ということを教えるために絵本として読んであげる作品で、自分の子供には最後には泣いてもらいたい作品なのかもしれないが、そこで泣いたら「この子は優しいいい子に育っている」と喜ぶべきなのだろうか?それとも「この悲惨な結末の全ての元凶は貧しさだ。貧しくなりたくなけれ強くなれ。強くなるには。。。。」と言い聞かせるべきなのだろうか?
どっちかを選ばねばならないならば、私自身の人生ならば後者を選ぶが、自分が親にはなっていないので本当に正直わが子にそう言えるか自信はない。
- Comments: 1
- TrackBacks: 1
それはちっぽけな喜びかもしれないが
- 2004年1月 3日 00:56
- アトピー
今日大阪に戻る予定だが、寝正月でジーンズが入らなくなったらどうしようと考えながら布団に入ってうつぶせでこのエントリを書いている。
昨年の正月も同じようなことを書いているのだが、実家の布団で寝ても、起きたときにカサブタやフケが散乱していた9年前の闘病当時が嘘のような快適な状態で眠れた。敷毛布、掛け毛布で肌がちくちくすることもない。これだけのことに嬉しさを感じられるということは果たして重要なのか?ということを疑問に思われる方もいるかもしれないが、これってとても重要。
例えば、友人知人の家に泊めてもらったとしよう。以前なら、自分の部屋以外のところで眠るということそのものが怖かった。尋常ではない量のカサブタやフケが泊めてもらった部屋の布団や床に飛び、その家主(の配偶者や家族)に迷惑をかけたくないという抑圧感があり、熟睡もできなかった。これが実家であっても同じだ。その怖さがゼロになったことはとても気が楽なのだ。(個人旅行などの宿泊施設などの場合は、自分の金で自分の部屋を使う意味ではその気遣いの必要がないことは別。)
おふろ上がりの痒みと乾燥による全身のひび割れの激痛がこの寒い時期にも関わらずないことも同じく嬉しいことなのだが、これらのちっぽけでささやかな快適さを獲得するために自分が捨ててきたこと、捨てざるを得なかったものもいっぱいある。帳尻はきっちり合わないと気持ちのよいものではない。等価交換というものが法則なのかはわからないが、ここまでくるまでのコストは自分の今後の自分の人生における満足感、充足感などのプラス要素としてこれからもきっちり利息つきで回収していきたいと思う。私にとっての利息が何に該当するのかはまだわからないが。
- Comments: 1
- TrackBacks: 0
2004年スタート
- 2004年1月 1日 00:00
- その他
2004年になった。時間は元には戻らずずっと過ぎていくだけ。若かった頃に戻ることはなく、ただ一方通行だ。このド田舎では既にまわりは真っ暗。近所のお寺からは鐘が聞こえていたが、そろそろ暴走族の五月蠅いエンジン音も時々聞こえるようになるだろう。私がこのまま健康状態を維持でき、不慮の事故がないならば、両親が私よりも先に遠くない未来に死ぬことになる。昔は人は必ず死ぬものだということが自分にもいつか例外なく訪れるのだと知ったときは、自分が死ぬことが怖くてそれを受け入れられず、ただただその恐怖におびえたことが幼いときの遠い記憶にある。今はその前に、ワンクッションおいて、両親の死の瞬間にどう立ち向かうかということがよぎる。幸い父も母も現在は健康のようだが、いつまでもずっとそうではない。年の瀬、元旦にかけてはこのことを気にかけることが少し強くなってはきているが、それでもおせちを食べたりなど、元旦というすごし方は私は昔からどうしてもなじめないというか、生理的に受け付けられない。大晦日には紅白を観るものだという親の世代の価値観そのものにも嫌悪感をもちながら、それは口に出さず、聞き流してやる日だとずっと感じている。それでも実家でごろごろできることは結構リフレッシュできてよいものだ。2003年は仕事に関してはさほど順風満帆ではなかったが、今年こそは、とはいわずなるようになると考えていきたい。
- Comments: 1
- TrackBacks: 0

