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2004年2月 Archive

体調良好

  • Posted by: mastuoka
  • 2004年2月28日 22:16
  • その他

この冬も特に体調を崩すことなく乗り越えられそうだ。しかし、一点懸念していることがある。先週から仕事が忙しくなってきて、帰宅時刻も遅くなってきている。週末にしか更新できない状況になっているが、少なくとも3月末まではこの状況が続きそうである。年度末は転勤や組織の再編成などで周囲がざわつき、この時期に飛び込んできた仕事が次年度も継続することが視野に入ったものなのかどうかがわからない状況は戸惑うものだが、今の仕事は次年度もそのまま移行という前提で進めるしかないので集中するしかない。市場調査、プロファイリング、営業からのプライマリ情報をもとに状況分析、ブレーンストーミング、シンクタンクの統計予測や政府統計、ネット上にあふれるニュース記事などのセカンダリデータの整備、カウンタートーク資料追加というサイクルを毎日やりながら、来週からは外回りが始まる。営業時代以来の久々の外回りになるが、うまくできるか自信喪失気味なところもある。10年前のような怖いもんなしの飛び込み営業の時よりも正直怖さがつきまとうが、無理をして壊れないようにせねば。。。

チャレンジドの解説を読んで

チャレンジの最後に「ド」がついているということは受動態の言葉であるが、では自分に挑戦状を叩きつけたのは誰なんだろうという疑問がわく。カイパパさんのblogで【用語】チャレンジド=挑戦を受けた人(2)【用語】チャレンジド=挑戦を受けた人(3)というエントリーが追加された。カイパパさんのエントリーでは「くじ引き論」と「立場の互換性」のそれぞれの説明と考察がされている。

「くじ引き論」~キリスト教世界の価値観


○キリスト教世界では、次のような発想があるから、障害者に対して親身になった福祉が行われているのではないか(仮説)
・障害は、誰かしらに必ずもたらされる不可避なもの
・「くじ引き」をするように、誰が背負うかを決定づけられる(それは神によって)
・そうであるなら、障害者は、他の「健常に生まれた」人のために、(ある意味)犠牲となった人といえる
  →だから、社会(コミュニティ)が責任をもつのだ

ネットに限らず、初対面の人と揉め事を起こしたくなければ、「政治と宗教の話題は出すな」とよく言われ、そのために自分の意見を伝えにくい場面が多々ある。そういう意味ではどうしても私の場合はこのアプローチの説明を書くのをためらう傾向があるのだが、無神論者であるカイパパさんがこの理論の説明をきちんとされていたことには脱帽する。福祉を語るとき欧米のキリスト教精神のバックグラウンドへの言及が避けて通れないのはよくわかった。(信仰の有無は別の話である。)

上記解説項目で「・障害は、誰かしらに必ずもたらされる不可避なもの」は現実として無条件で納得ができる。また、「→だから、社会(コミュニティ)が責任をもつのだ」という結論にも異論は全く無い。
しかし、この結論に至るまでに、間に二項目を加えないと、キリスト教文化圏の倫理観では説明がつかないのだろうか?これは信仰の有無に関わらず道義的なことであり、人として当たり前のことであると思うからだ。

以下はカイパパさんへの反論ではない。また、なんらかの信仰を持つ人を攻撃する意志はない。しかし、私に信仰を強要する人が現れた場合は徹底的にそれに抵抗することをあらかじめ書いておく。また、神を信じるか信じないかという議論が一人歩きしてフレームになることがたまにあるが、私はそれには関わるつもりは無い。宗教的倫理観という言葉があるが、私の場合、宗教と倫理を敢えて切り離して考える傾向があるのでそのつもりで読んでいただきたい。

「・「くじ引き」をするように、誰が背負うかを決定づけられる(それは神によって)」と「・そうであるなら、障害者は、他の「健常に生まれた」人のために、(ある意味)犠牲となった人といえる」などというまだるっこしい説明を加えられないと道義的立場をとることができないのならば、キリスト教徒(だけではなく、何らかの信仰がある人)というのはアホばっかりなのか?と感じるのである。(おそらくそんなアホばっかりということはないとは思うが。。。。或いは信仰を持つ人にはそういう自分より上位の絶対的存在が必要なのかもしれない。。偉大な神のもとではアホでなければならないのかも。ソクラテスの「無知の知」に通じなくもないが、なんだかなあ。。。。。)

キリスト文化圏の国で育った人には普通に受けいれられることなのであろうが、私は以前フランダースの犬の結末は美しいのか?というエントリーで少し書いた通り、神(仏)の存在は決して認めない。(また、信仰のある人に「神など信じるな」と強要するつもりはない。)また、神の存在を背景に、人が神の代弁者として人を支配する構図が事実上存在していることを悪と見なすという価値観が私の根底にある。たとえば、創価学会と公明党は私の価値観では政教一致であり明らかにクソであると見なす。また、共産主義は悪平等をばら撒き堕落と無気力しか産まずこれはもっとクソであると見なす。ファシズムやネオナチに心酔する狂信者も同様に悪であると見なす。宗教カルト、商業カルトは更に最悪と見なす。また、その他新興宗教も同様である。むしろ私はそれを強く嫌っているからと言い切っても良い。信仰心が厚い方々にも立派な方もたくさんいることは認める。しかし、申し訳ないがくじ引き論は私の耳にはこう聞こえる。

「おめでとうございます!あなたは神から選ばれました。あなたには試練が与えられました。これを克服すべく生きていけばあなたの魂は救われます。そして、神はあなたを見ているだけで何もしませんよ。また、とても険しく厳しい道ですが、あなたが困難に陥ったとき、神から選ばれなかった人間にサポートさせます。」

また、挑戦状を叩きつけたのは「病気」「障害」という事象そのものであって、それは誰もがその状況に直面する可能性があるということ以上でも以下でもないと思う。確かに14歳のときにいきなりアトピー(ステロイド依存状態)になった時に、それを結果として「ああ、僕はアトピーになったんか。。。」と受容せざるを得なかったが、「当たりくじ」というような発想での受容は決してできなかった。また、25歳の時のステロイドをやめる決意をした時も、その後のリバウンド症状が出てくること、その苦痛が尋常ではないことを事前に情報収集して「ああ、そうなるのか」という現実を想像し、そしてその症状が実際に現れたときも「ああ、出てきた」とその現実を直視し、症状が改善したあとに「あのときはしんどかった」と胸をなでおろしている将来の自分の姿を強く思い描き、「ではどう乗り切ろうか?」ということを考え、症状が治まるのをひたすら待った。そこには神などいなかった。これは明らかに「はずれくじ」であり、「当たりくじ」などと解釈させて慰めんとする神父が当時の私の前に現れていたならば、「五月蝿い!そんなええ当たりくじやったらお前に全部やるわい!」と言いながら、その神父の咽喉下に包丁を突きつけ、かっ切っていただろう。(私がキリスト教社会の国で生まれ育ってたらどうだったかはわからないが。。。)神への冒涜と言われようが、火あぶりの刑に処されようが本能的に私はそう考える。つまり、このロジックで「チャレンジド」という状況を受け入れることは決してなかっただろう。(感情論たっぷりで申し訳ないのだが。。。)

反面、「立場の互換性」に関しては、「ふむ、ふむ」と違和感なく受け入れやすいロジックであると感じた。

「立場の互換性」


★6 立場の互換性(交換可能性)=福祉を支える倫理的根拠○障害者は「特殊な存在」ではない
○障害者は「特殊な存在」ではない
・人間はだれもが加齢や病気、事故によって障害者となりうる
  =今、「健常」な状態だとしても将来はわからない
・また、一定の確率で障害をもった子どもが生まれる。
  =あなたも「障害児」の家族になるかもしれない
→全ての人が、福祉の受益者となりえる=つまり、いつか立場が換わりうるということ(立場の互換性)
  =それは遅かれ早かれいつか来ることであって、現在福祉の対象となっていることを恥じたり、卑下したりする必要はない
 言い換えるなら、福祉は、「全ての人のためのセーフティネット」なのです。これがなければ、人は安心して子どもを産むことも暮らしていくこともできない。

人生を時間軸でとらえるならば、誕生があり最後に死がある。これは誰もが避けて通れない。その過程において、健康なときもあればそうでないときもある。特に「→全ての人が、福祉の受益者となりえる=つまり、いつか立場が換わりうるということ(立場の互換性)
  =それは遅かれ早かれいつか来ることであって、現在福祉の対象となっていることを恥じたり、卑下したりする必要はない」
という項目は私には新しい発見であった。1995年のサイト開設当時、私は「福祉なんかの施しには頼りたくはないですが」という記述をしている。これは言葉遣いがきつく、不適切な表現であったかもしれない。また、虚勢を張っていたんだなと取られるかもしれないが、「自力で生き抜いてやる」という自分の意思表示の意味も込めていたつもりであった。今後は表現方法を改める必要があるなと感じた。

我々アトピー患者の自主自立には何が必要か、どんな行動が必要なのかをカイパパさんの活動を見ながら今後も学んでいこうと思っている。

「チャレンジド」う~む、深い。。。

一昨日のエントリでカイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルさんのエントリにトラックバックを送っていたら、チャレンジドに関する丁寧な解説が追加されていた。自分の想像にほぼ近い説明がされており、非常に興味深く読ませていただいた。
【用語】チャレンジド=挑戦を受けた人(1)
の文中で、竹内ナミさんの解説が引用されている。引用の引用(JFKまで遡れば更なる引用になるかも)で以下に引用。まずJFK(ジョン・F・ケネディ)の場合。


あなた方が国家に何をしてもらうかを期待するのではなく、あなた方が国家のために何をできるか、それを私は問いたい。

確かJFKは上記のような言葉で泥沼化したベトナム戦争に疲弊し二分化していた米国民の価値観を超えて奮起させたと記憶している。(JFKだけでなく、JFK陣営の選挙参謀の描いた戦略のお手柄だったかもしれないが。。。)

次に、竹内ナミさんの解説の引用。


 ところで、「チャレンジド」って知ってはりますか?
 これは、障害を持っている人を表すアメリカの新しい言葉で、正式には「ザ・チャレンジド(The challenged)」といいます。
「神から挑戦という使命や課題、あるいはチャンスを与えられた人々」という意味がこめられていて、15年くらい前から使われはじめました。
「すべての人間には、生まれながらに自分の課題に向き合う力が与えられている。しかも、その課題が大きければ大きいほど、向き合う力もたくさん与えられている」
 という哲学にもとづいて生まれたそうです。
 アメリカでは「チャレンジドが働き、タックスペイアー(税を払う人)になる」というのは当たり前のこと。(略)
(プロップ・ステーションの)キャッチフレーズは「チャレンジドを納税者にできる日本!」

いずれも「よっしゃあ、わしもやったる」と奮起を促す言葉ではある。そして、言い回しに少しずつ違いはあるにしても、多くの偉大な人は同じ事を言ってるような気がする。それを分かりやすく自分の言葉とカイパパさんがご自身の経験則から詳しく解説してくださっていることに感謝申し上げたい。

そして、その歴史的蓄積を活字、あるいはテキストデータとして我々が読めること、自分で考えるヒントになること、更には自分の今後の生活に与えるメリットも大きいことも認識している。

実は自分がステロイドを止める決意をしたときも、根底では(屈折した社会全体への復讐心も混じってはいたものの)自分の闘病姿勢として自分を鼓舞する原動力になっていたことは共通であり、こういう感覚に何度も励まされたことは骨の髄まで染み付いている。よってカイパパさんがおっしゃることは痛いほどよくわかるのだ。

それでも差し引いて「やっぱりしんどい。」という部分があるのである。ましてや肉体的、精神的にボロボロの状態のときは、奮起する気そのものがそがれる「ネガティブスパイラル」によけいに陥ることもある。平常時においてさえ、これだけで奮起できるほど単純には割り切れず同時に戸惑う自分もいる。そんなに大衆の心を打つ必要があるのだろうかとか、裏を返せば、そこまで情熱を持ち、自分を、他人を鼓舞し続けねばならなければならなくなる状況というものがよけいに哀しくなるのである。思い通りにならず一生涙し続けるのか、「そんなのは嫌だ。」と何とかしようと努力することに、レベルや量に個人差はあったとしても疲れるのも人間だ。そして、その限界を知ることもまた頑張りすぎてつぶれてしまうのを防ぐバランス感覚も同時に必要なのかもしれない。

「チャレンジド」という言葉は、竹中ナミさんのオリジナルではなく、最初に紹介した人でもないでしょう。しかし、ナミさんは、チャレンジド・ジャパン・フォーラムを企画・成功させた人であり、彼女が設立したプロップ・ステーションは、これまでの「保護の対象として障害者を見る福祉観」とは異なる、IT技術を活用したエンパワメントを実現しています。彼女が、「チャレンジド」の言葉普及の立役者であると思っています。

そして、その疲弊的状況があろうがなかろうがお構いナシなのは自然界の食物連鎖の中の不文律である「弱肉強食」。これは例外でもなく人間社会でも同じ。疲労が回復するまで誰も待ってはくれない。人類がいくら「社会的動物」としての知性、理性を持ち合わせた高等生物であったとしても、人類の英知を以ってしてもやはり「弱肉強食」ルールから逃れたくてもそうはいかない。

「属している階級や住んでる世界というのは人間が勝手に考え付いたカベで、そんなものは存在しない」と信じて疑わない甘々な人には決して見えない(そもそもその現実を直視しない)ことだが、それは単なる希望的観測というその人の願望であり、残念ながらこれは嫌でも存在する。(というか、そんなの存在しない、或いは存在してはならないという考えが発生している時点で、そのよからぬものは現実として存在していることになる。)「世の中は決して平和ではない。そして、公平でもない。」だからこそ、弱者は強者以上の(あるいは自分で認識している以上の)自立心と行動力、それを裏付ける能力を磨く必要があるということが的確に説明されていると思う。「芸は身をたすく」よりも深い。そして、その気になれるかどうかは、個人の資質、性格でも差がある分、その差を埋めるべくサポートするサービス体制というものが必要なのも頷ける。

私の勝手な解釈は逆説的すぎかもしれない。私の想像できる以上のところまでを見切って、もしくはもっと先を既に見通した上の解説なのだとも感じる。或いは私が今後関わっていこうと考えていておぼろげながら思い描いていることを既に具体的な形として見えるようにされている竹内ナミさんの活動、それを我々にわかりやすく説明してくださるカイパパさんのblogを見つけることができてよかったと感じている。なんとなく支離滅裂な感想になってしまったが、次回のエントリ以降の解説も楽しみだ。

ラッキーウーマン

  • Posted by: mastuoka
  • 2004年2月16日 10:33
  • moblog

カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルさんのサイトに竹中ナミさん講演会 一宮で開催!という興味深いエントリーがあったのでメモ。ラッキーウーマンの著者でプロップ・ステーション代表の竹中ナミさんの講演会の案内が掲載されている。プロップ・ステーションのサイトを読んでいくとchallenged(チャレンジド)というキーワードが出てくる。


challenged(チャレンジド)というのは「障害を持つ人」を表す新しい米語「the challenged」を語源とし、障害をマイナスとのみ捉えるのでなく、障害を持つゆえに体験する様々な事象を自分自身のため、あるいは社会のためポジティブに生かして行こう、という想いを込め、プロップが提唱している呼称です。

正直なところ、このパターンの「ポジティブシンキング」に向かわせる言葉や新語、造語というものに私は胡散臭さを感じる。有無を言わせずしんどい自分に鞭打つ或いは苦役を強いるような感じと言えばよいだろうか?

おそらく世の中がこういう方向に向かってほしい、あるいはそういう世の中にしていきたいという意志表示を含む理念のようなものとして掲げられているものなのだとは思うが、自分の中には「うん、これは確かに大切なことなんだろうな」と感じながらも、やはり無条件に「うん、うん」と頷けないのは私が弱い、あるいは甘えただからかもしれない。人間いつもそう強くはないもんだ。日常生活や仕事においても、目標なりノルマというものがある。もう少し言葉を変えれば課題という人もいるかもしれない。課題や目標を達成したときの達成感に喜びを感じることができるコンディション(肉体的にも精神的にも)を維持できているときにはこれはプラスに働くが、そのコンディションが崩れたときには歯車が狂ったように苦痛や自身への厳しい制約や障壁となり、自分を壊す刃ともなりうる。おそらくそれをも見据えての想いがこもっているのだろうなと勝手に想像してみた。

極限状態、絶望的状態でも「Never give up」という方向に考えを切りかえ、その行動を維持するというのは消耗することであるが、現実直視、現状認識がきちんとあるという条件が満たされていて始めてそうできることで、それが自助努力なり自主自立に繋がるのだともなんとなくではあるが理解はできるが、これの実践と継続というのはほんと難しいものなんだと感じる。

おもしろき、こともなき世をおもしろく、すみなすものは心なりけり

上記高杉晋作の句にも同じような意味が込められているのかもしれない。ハッカー(悪さをするクラッカーではなく、優秀なプログラマ)文化にもこれと同じような格言のような言葉があるのを思い出した。

Eric S. Raymondの「ハッカーになろう(山形浩生氏邦訳)」


この世界は解決を待っている魅力的な問題でいっぱいだ

にも同じような意味があるのかもしれない。創造性や、物事を具体化する行動力の源になるものは何なのか?ということを考えさせられた。

アトピー関連のblog

アトピー関連のblogを見つけたのでメモ。プロトピックの使用経過、塗布状況、勤務時間などを時系列で記録されている。


まだ手放せない(bugu blog)
プロトピック塗らない日を3日続けて悪化して、3日連続して塗ることで元に戻りつつある。まだまだプロトピックを手放せない状況であることを自覚。

Atopy and Protopic アトピーとプロトピックというサイトで情報を整理されている。

ThinkPad の液晶が真っ暗(2)

バックライトが寿命なのか、やはり我が愛機ThinkPadの液晶は相変わらず真っ暗。結局こたつの上にデスクトップ用の液晶ディスプレイを置いた。キー入力のためにThinkPadの蓋をあけるのも使いにくいので、USBキーボードを買ってきた。ELECOM USB keyboard TK-U77MPSV(幅222mm キーピッチ16.8mm ) だが、邪魔なwindowsキーがないのが気に入りこれにした。デスクトップならぬ、Kotatsu Top PCになってしまったが、当面はこれでいこう。

今日のカレー

  • Posted by: mastuoka
  • 2004年2月14日 13:26
  • moblog
いつものカレー屋さんで昼飯。師匠は仕事なので今日も一人で食べる。いつもの食べ 放題だが、チキンカレーと野菜のカレー。野菜のカレーは豆とジャガイモのカレーだ った。最近土曜は豆が多い。。。

JUGEM

  • Posted by: mastuoka
  • 2004年2月13日 09:29
  • moblog
ロリポップ提供のblogサービ スJUGEMのテストユーザー 募集が本日開始される。

ThinkPad の液晶が真っ暗

ThinkPadの液晶が真っ暗になってしまった。デスクトップパソコンの液晶ディスプレ イにつなぐとかろうじて表示できる。でも、こたつから出て体を180度反転せねばな らず、このためだけにデスクトップパソコンの配置を変えるのも面倒くさい。データ も死んでいないので、HDDのバックアップをとっておかねば。当面はSONY PEG-N80V CLIEでエントリーを書くことになると思う。自宅でmoblogというのはトホホかも。 また中古のThinkPad探そ。。。。。

アイスターが営業停止処分へ

  • Posted by: mastuoka
  • 2004年2月12日 11:19
  • moblog
アイスターが営業停止処分になるようだ。以下メモ。
「アイスター」を営業停止処分へ 宿泊拒否問題で熊本県(朝日 新聞)
熊本県南小国町のホテルがハンセン病歴を理由に宿泊拒否をした問題で、熊本県はホ テルを経営する化粧品訪問販売会社「アイスター」(本社・東京)に、旅館業法に基 づいてホテルに5日前後の営業停止処分を出す方針を固め、最終調整をしている。県 は「宿泊拒否行為に正当な理由はなかった」と判断した。県によると、宿泊拒否が営 業停止処分につながったケースは全国的に例がないという。
記事の出所のURL:(朝日はすぐ記事URLがリンク切れになるので困る) http://www.asahi.com/national/update/0212/006.html

毎日新聞の記事も出てきたので以下にメモ。


<宿泊拒否>熊本県、ホテルを営業停止処分へ 「反省見られず」(Yahoo!ニュース - 社会 - 毎日新聞)
国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」入所者らへの宿泊拒否問題で、熊本県は旅館業法に基づき、同県南小国町の「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」を2~5日間の営業停止処分とする方向で最終調整に入った。宿泊拒否での行政処分は前例がないが、「真の反省の態度がみられず再発の可能性がある」などとしている。(毎日新聞)

時事通信のヘッドラインも出ていた。

ホテルを営業停止処分へ=旅館業法違反で-「ハンセン病」宿泊拒否・熊本県(Yahoo!ニュース - 社会 - 時事通信)
熊本県南小国町の「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」(前田篤子総支配人)が、ハンセン病療養所入所者の宿泊を拒否した問題で、熊本県は12日までに、一部の例外を除き宿泊を拒めないとした旅館業法に基づき、同ホテルに最大5日間の営業停止処分を命じる方針を固めた。宿泊拒否での営業停止処分は全国で初めてとなる。
 県は営業停止期間を2~5日の間で最終調整し、近く行政手続法の規定に従い、ホテルを経営するアイスター(東京都)に弁明書の提出を求める。弁明書が提出された後、アイスターあてに処分決定を通知。営業停止時期は3月となる見通し。 (時事通信)

宿泊拒否問題その後のその後

当サイトの宿泊拒否その後というエントリにアトピー性皮膚炎の高山家さんからトラックバックを頂いたが、

この大学生の抗議文をアイスターが掲載している件の場合、大学生がアイスターに抗議文を送付→抗議文の送信主の住所、氏名をアイスターがそのまま掲載したことに関するアイスターの悪意、違法性、アイスターという企業そのものの差別的姿勢がニュースとして流れていると考える。このチンピラカルト企業に関しては、今後もそのカルト性、すなわち教祖西山体制が崩壊しない限り、同様のニュースが流れ続けるだろう。差別問題、人権問題でこの企業を批判するサイト、マスコミ報道は多々あるが、「なぜこの会社は謝罪と逆切れを繰り返すのか?」ということに踏み込まねばならないのではないかと思う。カルトの側面でもっと斬り込んだ報道、情報がほしいと感じる。カルト資本主義カルトにはごく一般的な社会常識や価値観は通用しない危険性があるからだ。
参考URL:
カルト資本主義
カルト、マインド・コントロールとは?
マインドコントロールの実際
カルト宗教 ヤバイ度チェック

さて、高山家さんの今回のエントリーに書かれているコスモスネットの件は少し補足しておきます。

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牛丼の食いおさめ?

  • Posted by: mastuoka
  • 2004年2月10日 19:19
  • moblog
仕事の帰りに吉野家で牛丼の並、生玉子、サラダを食べた。そろそろXデーなのか、 いつもより混雑していたような気がする。時々無性に食べたくなるが、食べた後はい つも所詮は牛丼やなという感じで旨かったと感じたことはない。今日もそうだった。

当サイトのサーバ移転計画(2)

  • Posted by: mastuoka
  • 2004年2月10日 11:43
  • その他

ドメインレジストラの移転手続きが完了した。次はホスティングで利用しているサーバ上のデータの移行だ。ここで自営かホスティングかの決断をする必要があるが、前回も書いたとおり自営に傾きつつある。自宅サーバのxoopsは一旦削除し、サーバそのものを作りなおすところから再挑戦しようと思っている。手に負えんと判断すれば、ホスティングでいくこともありうるのだが、もう少し作業項目を掘り下げてみた。

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トップページの表示速度計測

  • Posted by: mastuoka
  • 2004年2月10日 09:49
  • moblog

テンプレートのカスタマイズとトップページ表示デザインを変更。とりあえずサイトチューンナップというサイトで表示時間をシミュレートしてみた。

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こだわりの逸品

私はヘアブラシを手放さない。外出するときズボンの左前ポケットにも必ず入れる。ヘアブラシを忘れて外出した時のショックは財布を忘れた時に匹敵する。髪型を整えにくいためでなく、頭皮を掻けないからだ。頭が痒いとき、私はヘアブラシでブラッシングする感じで頭皮を掻く。コンビニで500円前後で買った普通のプラスチックのヘアブラシだが、折りたたみ構造である。ブラッシングのしすぎ、いや頭皮のマッサージ(ともいう)のしすぎで、折りたたみ部分でポキッと折れてしまっているが、ブラシの毛先(といっていいのか?)が兆度良い丸みを帯びていて非常に気持ちよいのだ。

今日もカレー

  • Posted by: mastuoka
  • 2004年2月 8日 18:13
  • moblog
師匠といつものカレー食べ放題。野菜のカレーはジャガイモとたまごのカレーだった 。

今日のカレー

  • Posted by: mastuoka
  • 2004年2月 7日 13:27
  • moblog
いつものカレー食べ放題。今日の野菜のカレーは豆のカレー。師匠は仕事だったので今日も先週と同じく一人で食べた。

2月の高山家さんのオフ会

2月の高山家さんのオフ会の日程が変更になるかもしれないと書いていたが、日程が決定したという連絡があった。

2月22日(日)13:00から。

詳細はいつものようにここを参照のこと。
(2/4追記、修正)
更に変更があった模様。


新型アトピーの患者会、開催場所と時間変更(高山家blogのエントリより)
本高山家ホームページでも告知しておりますようにミーティングの時間と場所が
変更になりました。お手数ですが下記のURLをご参照のほどよろしくお願いいたします。
http://www.atopy.org/sosiki/index.html

日は2/22(日)で変更無し。
時刻が14:00~になっている。
場所も「鷹取コミュニティーセンター」から「ひょうごボランタリープラザ」へ変更になっている模様。
以下に地図を貼りつけ。
map

大阪府知事選挙の投票日

  • Posted by: mastuoka
  • 2004年2月 1日 13:58
  • その他

今日は大阪府知事選挙の投票日。横山ノックはアホだったが、そのアホを当選させてしまった大阪府民はもっとアホである。

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