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アトピー的自由計画 On the Radio 最終回の収録日程

アトピー的自由計画 On the Radioの放送は、7/8放送分で最終回になります。この放送分の収録を来週土曜日に実施致します。

 そろそろ暑さが増してきますが皆様いかがお過ごしでしょうか。

 アトピー的自由計画OntheRadioが7月8日の放送をもって最終回となりました。その最終回を迎えるラジオ放送の収録を7月1日土曜日16:00~Fmわいわいサブスタジオで行います。
 ラジオ放送に出演するチャンスは今回が最後になります。今まで参加できなかった方や、リスナーの方で最後に収録風景を見に来たいという方ぜひご参加ください。

■「アトピー的自由計画On the Radio」7月放送分の収録

  1. 日時:2006年7月1日(土曜日)16:00-
  2. 場所:たかとりコミュニティセンター FMわぃわぃ サブスタジオ
    〒653-0041 神戸市長田区久保町6-1-1-201 アスタくにづか4番館2階

[map:神戸市長田区久保町6-1-1-201]

各活動へのご参加はあらかじめメールでご連絡いただけると、日程などで変更があった場合連絡できます。

by takayamake

今まで約二年間、FMわぃわぃさんの収録設備を使用させていただき収録、ストリーミングを行なってきましたが、今後は当サイトでも不定期ではありますがPodcasting対応をしておりますように、アトピー的自由計画版のPodcastingの準備をすすめていきたいと思います。 当サイトのPodcastは下のアイコンをiTunes等にドラッグ&ドロップすることで聴くことができます。

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プレイヤー埋め込みにも対応しました。
↓サンプル
[mp3:http://www.atopic-info.com/archives/podcast/rec-20060421-1531.mp3:アトピーをねじ伏せる?アトピーと共存する?]

アトピーをねじ伏せる?アトピーと共存する?


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ダウンロード:rec-20060421-1531.mp3

[mp3:http://www.atopic-info.com/archives/podcast/rec-20060421-1531.mp3:アトピーをねじ伏せる?アトピーと共存する?] ちょうど1994年の4月おわりから5月にかけて、アトピーをねじ伏せるという気概を以ってステロイドの使用を停止し、体調の好不調を繰り返しながらゆっくりと日常生活を取り戻して現在に至りますが、当時から「ねじ伏せる」という対象は何もアトピーだけではなかったような気がします。対人関係においても、会社への復帰の準備においても、通勤時のすれ違う人々の視線に対しても、全て「なめられてはいかん」と、24時間365日が臨戦体制、一瞬一瞬が真剣勝負というか、自己防衛的攻撃性、及び当時の怒りを最大限にすることでギリギリの平常心を維持しようとあがいていたのかもしれないと今になっては思います。

日常生活が落ち着いてくるにしたがい、そのねじ伏せるという思いよりも、「アトピーかかえててもまあええか」と思える場面が12年前よりも増えてきているような気もします。

一昨日、無理心中の母親に実刑というエントリーを書きましたが、この種類のニュースを目にするたびに、「アトピーでも真っ当に生きようとしている、或いはそう努力している患者に失礼やろ。なんちゅう親やねん。この種の事件がおきるたびにオレらは駄目な人間やという烙印を押されたきがして非常に気分が悪い」という思いがいつもよぎります。

反面、「10年後か20年後、お子さんが自立できている姿をイメージして欲しい。そのためには我々がよい面も悪い面も示さねばならない。できればそれなりに幸せに暮らしている姿が目に入るように生きねばならない。」という強い思いも同じくあります。我々が病気を抱えてても、今なんとか楽しく生きていけている今日というのは、この親子にとっては「いつになっても来ない明日」であってはならないのですが、この種の事件を一件でも減らすきっかけになるようなニュースを目に出来る機会ももっと増えて欲しいなと思っていたらありました。

 大使館で勤務後、渡米先の大学院で安全保障を学んだゴスペル歌手。そんな異色の経歴を持つ堺市南区の文屋範奈(ぶんやはんな)さん(35)が4月から、近畿大学(東大阪市)の英語の非常勤講師として教壇に立っている。留学やライブ活動など豊富な経験に基づくユニークな講義が学生には好評で、文屋さんは「若い人に、自分の長所や本気で取り組みたいことは何かを考えるきっかけに」と意気込んでいる。

 文屋さんは、1990年から4年間、米国・ミネソタ州立モアヘッド大学でジャーナリズムを専攻。卒業後は東京のパキスタン大使館で2年間、広報や通訳の仕事に携わった。しかし、当時の自衛隊の国連平和維持活動(PKO)派遣や印パの核対立問題を通し、「英語ができるだけではだめ。国際政治に関する専門性を」と退職して再渡米。96年からジョージ・ワシントン大学院で「平和のための軍事」をテーマに安全保障学を研究した。

 院生約30人中、たった一人の日本人女性。軍事を学ぶというだけで露骨に嫌がられ、同じ院生から「リメンバー・パール・ハーバー」とも言われたという。負けん気から、軍事兵器の図鑑を編集する出版社でアルバイトを続け、週に10冊は専門書を読みあさった。すり切れた同じ服ばかりの貧しい生活。猛勉強のかいあって大学院は2年後に修了したが、自律神経失調症を患い、アトピーも併発。帰国せざるを得なかった。

 半年間は自宅から出られず、不本意な人生に失意の底に沈んだが、肩ひじ張らずに、できることを考えるようになり、通う教会の賛美歌が心に響くようになった。

 「歌をやってみたい」。大学で音楽理論を教える父親の勧めでゴスペルに取り組んだのは29歳になってから。ソフトウエア会社勤務を続けながらの活動だったが、「癒やされた」と声をかけてくれたり、歌声に涙したりする聴衆の姿に「自分の感情や気持ちを素直に表現すれば、感動が分かち合えるんや」と実感した。

 2004年、スイスで開いたコンサートを機に歌手活動に専念。CD制作のほか、国内各地の教会やホールでジャズやポップスも盛り込んだライブを年間約40回開き、昨年5月には愛知万博でもステージに立った。そんなパワフルな活動ぶりを知った大学側が、教員にと白羽の矢を立てた。

 大学では週4回、経済学部の英語を担当。モットーは「けんかができる英語指導」で、自分の考えを冷静に伝えられるよう身近な話題でのスピーチや討論を講義に盛り込む。11日に開かれた初回の「時事英語」では、「中国の情勢が気になるアメリカでは孫子が人気」と、孫子の「兵法」の一節「彼を知り、己を知れば、百戦して殆(あや)うからず」の英訳文を紹介。「では、みなさんの得意分野は何やろか」とさっそく教室内を歩き回り、約40人の学生に問いかけた。

 「どんなに壁にぶつかっても、人生はそこで終わりじゃないということを伝えたい」という文屋さん。「英語力はもちろん、学生が自分の〈武器〉をゲットする手伝いができれば」と話している。

無理心中の母親に実刑

アトピーの2人の子供を殺害した母親に4年6ヶ月の実刑判決が出た模様。



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ダウンロード:rec-20060419-1049.mp3

[mp3:http://www.atopic-info.com/archives/podcast/rec-20060419-1049.mp3:無理心中の母親に実刑]

去年5月、奥州市水沢区で幼い二人の息子を殺害し無理心中をはかった母親に懲役4年6ヵ月の実刑判決が言い渡された。
殺人の罪に問われていたのは奥州市水沢区の無職、那須野理香被告33歳。判決によると、那須野被告は去年5月、当時5歳の長男と5ヵ月の次男の首をネクタイなどで絞め殺した。これまで弁護側は「アトピー性皮膚炎だった二人の子どもの看病疲れなどから重度のうつ病で、刑事責任を問えない」と無罪を主張してきた。きょうの公判で盛岡地裁の杉山慎治裁判長は「被告は抑うつ状態にあったものの幻覚や妄想はなく、記憶も明確だ」などとして刑事責任を問えると判断。その上で「二人の命を奪った結果は重大だが被告は心神耗弱の状態で犯行までは子どもたちの看護や養育に務めていた。」などとして、懲役8年の求刑に対して懲役4年6ヵ月を言い渡した。

参考:
アトピー性皮膚炎の高山家:病苦で2子絞殺、母親に実刑判決
日々、ことのはを綴る。:無理心中の母親に4年6ヵ月の実刑

過去の関連エントリー:
またアトピーを苦に無理心中
複雑な思い
アトピーを苦にした無理心中
アトピーを苦に無理心中

アトピー患者2.0へ

昨日はアトピー的コレクションのイベントに参加してきましたが、KOBE HYOGO2005の第ニ期プロジェクトとして認定されてから当初思い描いていたことを、マスターベーションでしかないのですが、備忘録としてこの一年間を少し自分なりに振り返ってみましょう。IT関連に明るい方々の世界ではWeb2.0に関する議論があちこちでなされていますが、我々は「アトピー患者2.0」のみならず、その先の3.0→10.0まで見越したあるべき姿も模索していかねばと思う今日この頃です。実は昨夜このエントリーを書いておきたかったのですが、この一年のまとめ読みということで以下長文ですが閲覧頂ければ幸いです。



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ダウンロード:rec-20060313-1600.mp3

[mp3:http://www.atopic-info.com/archives/podcast/rec-20060313-1600.mp3:アトピー患者2.0へ] (1)KOBE HYOGO2005応募前夜:「あんたのためじゃない、自分のためです」

昨今に始まった訳ではないが、アトピーは格好のカモで上記引用中の「○○」にアトピーを当てはめた商品もわんさかある訳だ。

私の場合毎日頼みもしないスパムメールが200から300通は届くが、やれ「バイアグラを買え」だのという大きなお世話の命令調の英文メールなどで大切なメールが埋もれてしまっている。
この状況はwebの世界でも例外なくおきているが、なんとかならんもんかいなと思う。その規制、自サイトでのリンク規制やトラックバック規制が難しい。かくいう私もアマゾンでのアフィリエイトに参加しているし、IT関連の紹介はためらいなく自分のblogででもアフィリエイトつきのエントリとして書けるのだが、「アトピーグッズの広告へ誘導されるだけでも嫌だ」と思う度合いは勝手ながら私は強いかもしれない。
戦争中に相手に「なんで銃で撃ってくるねん」ということのナンセンスさと自分の思考パターンが重なる時もあるのだが、う~ん、難しい。

上記エントリーを書いたのが2004年10月25日。ちょうどKOBE HYOGO2005の夢基金にアトピー的自由計画として助成金申請をするか意見調整していた時期。人も少ない、本業の仕事は忙しいのに余計な作業負荷を増やすようなことはやめてくれよと、私はこの時点では一貫して「反対」の立場をとりました。また、我々自身がアトピービジネスの業者に手を貸すことになるのではという懸念があったこと、そして、NPO/NGOとしてアトピー的自由計画でフルタイムで働くということに自分の時間を割く気はなく、あくまで貴重な休日の一部を泣く泣くくれてやっているんだぞというスタンスは崩したくなかったからです。聞こえは悪いかもしれませんが、やはり自分の時間あっての作業時間の捻出である訳です。正義感・使命感・自己犠牲の精神だけでは生きてはいけません。そして、ではなぜ関わるの?ということになりますが、それは「自分の為」に何某かのメリットがあると思うからに他なりません。メリットには、カネだったり名声だったりいろんなものがあると思いますが、私の場合には、「アトピーである自分に利益がもたらされることなのか」→「自分にとって利益になるか?」ということです。このエゴに忠実である生き方を私は崩したくなかったし、今でもこれは原点だと思っています。

また、これは自分にとっては最も大切な線引きだと思っています。

ボランティアとして時間、作業を提供できる時間が自分の生活時間の中に占める割合が多くなるというのは、本業及び休息の時間をおろそかにするので本来の自分の仕事、余暇という区分が曖昧になっていくのは絶対に納得ができず、本業の就労時間ではなく、あくまでも余暇の一部を削り、業務時間・役務を捻出しているのだということはきちんと主張する必要があり、その貴重な時間、作業負荷を決して安売りはしたくなかったからです。(当然ながら、参加する物事に対して手は抜かないという前提です。)これはいろんなNPO/NGOのあり方やNPO/NGOに関わる姿勢としては望ましくないのかもしれませんが、自分の生活基盤第一優先でしたので、当時の人的資源、外的要因など充分分析してない状況での見切り発車には「待った」をかけ続けました。

これにはもう一つ理由があります。何も考えず、全員が「やってみよう」というのは危険であるという見解も皆共通で、「やめておこう」という立場にたったときに、何がその要因になるのかを慎重に考えるのも必要だったからです。

「情けは人のためならず」という言葉はよく誤用されます。

「人に情けをかけるのはその人のためにはならない」と思っている人が時々いますが、これは誤用の最たるもので、(憐憫、同情は別として)「人に優しく接することで、それは回りまわって自分が困ったとき助けてもらえることもある。要はお互い様。」が正しいはずです。裏を返して、強迫観念で嫌々やるというスタンスは好まないのと、やはり自分にとってメリットが見えてくることでないと取り組む気がしないという単純なモティベーションレベルでの考え方でもあります。そして、「これに時間をかけて見えてくるメリットは何?我々がやらなきゃいけない理由は?」これはこの時点では残念ながら全く見えませんでした。結局、メリット、デメリット、我々でどこまでできそうなのかなどを自分の中でも整理する時間がまだまだ必要でした。

(2)KOBE HYOGO2005応募前夜:まだまだ悩む

各メーカーや販売に携わる業者が「アトピーの人向け」という概念の製品を成熟させていけば(仮にバリアフリーになるような製品を世に送り出し)、何年かたてば、それはユニバーサルデザインな製品に統合されるのだろうか?そもそもそういうゴールや目標をおいているのだろうか?と思うのである。
ところがである。ここでもっと悩むのは、アトピー患者としての自分は、「こんなんがほしいんです。」ということを適切に業者に伝えることができているのか?ということも今後逆に問われることもありうる。一般消費者、あるいはアトピー患者がメリットを受けるような製品化に貢献できるような我々にしかわからないニーズをメーカーに伝えることが必要になる訳だが、その行為が自分の中ではまだまだ「安易に我々がそういうニーズという情報をくれてやっても安心な社会構造ではないよなあ。。。」という思いが同時にあるのだ。

「一般の人にとって安全で快適な生活をもたらす良い品物であれば、アトピーの人にとっても同じくそうである(あるいはそうであろう)」 という最大公約数的な製品、つまり誰もが毎日使い、買い足す必要がある製品そのものは、特にこうあるべきであると感じる。つまり、「アトピーの方向け」という概念など不要であるし、そのために一般の人向けの製品よりも付加価値分高額になるというのは成り立たないはずであると思うのだが、これは間違っているのだろうか?(青臭い、小便くさい理想論でもあるのだが、これをアトピーグッズを生産、販売する企業の方に実際のところどうなのか教えてほしいとも思う。)

この時点で2004年11月07日。やはり、我々がある特定のアパレルメーカーや素材メーカーの広告塔に成り下がってしまわないのかという疑念がぬぐえず、私はこの時点でもまだまだ悩んでいました。そして、どう立ち回ればそれが回避できつつ、「アトピー的コレクション」のプロジェクトの活動が意義あるものになるのかを考えていた時期でもあります。多くのメーカー・流通が競争することは勝手にやっていてほしいのと、有難迷惑なセールス攻勢への対応に追われて無駄な対応負荷が増えずに済むこと、今後参加して下さるアトピー患者さんに業者からの売り込みによる消費者被害や、悪徳カルト宗教の勧誘被害に遭わない立場、体制を維持しながらプロジェクトが遂行できうるあるべき姿はどのようなものだろうか?私たちはそういった阻害要因を想定しながら対応策、とるべきスタンスを模索していた時期でもあります。

(3)KOBE HYOGO2005応募前夜:現状の問題点の洗い出し・整理段階

自分のアトピー周辺の現状認識と、患者(あるいは患者の家族)として
  1. 「アトピーのことをもっと知ってもらいたいこと」
  2. 「適切な支援があれば、患者もなんとか将来を見出せるということを伝える必要性があること
を下図のように再度整理してみた。(現状認識レベルだが。図をクリックすると拡大図が別窓で表示されます。)今回のプロジェクトは、図の真ん中の黄色い領域の情報提供のきっかけに位置するものと認識し、図の下の領域を炙り出すきっかけ、及び、その対策として患者が日々知恵を絞っていることを公開することで、「ここまではできる」「ここからは患者個人、家族が自力でがんばっても限界があるので助けて欲しいとこです」ということを世の中の方にも考えて頂くためのプロジェクトあるということを理解する必要がある。

20041213-0.png
多くの協力者、情報が必要になるプロジェクトであり、正直その中で限られた時間のなかで私が関われる範囲はたかが知れているのだが、裏方でサポートできたらと思う。ここから派生するロードマップを別の機会で図示しておきたいと思う。その他概要、詳細はおいおいわかりやすく掲載していきたい。各自のアイデアベースを今後共有、公開しやすい環境を考えねば。。。。情熱、文字だけではこのプロジェクトのやらんとすることは、「単なるファッションシュウでは?」という印象しか伝わらない(私はもしそうであれば、関わる気はゼロ。ではなぜ関わる気になったかも今後きちんと説明できるよう、将来の自分なりの絵図を描いておく必要がある。これもおいおい掲載します。)のと、頭の中にある構想そのものを可視化し、共有しない限り、その構想が重要であっても協力者を得るのは非常に困難である。私も関わろうと決めるまで正直非常に悩んだ経緯からも、意思疎通部分は何とかしたいなあという思いがずっとある。「ここはどうなっているの?」という疑問を持たないのは問題外ではあるが、少なくとも我々はその努力をさらにせねばならない段階に入った。

このエントリーの図は、この時点では我ながらよく整理できたと思っています。しかし、当時こういう思考整理のプロセスを公開し、多方面からの協力を得るように持っていくという、対世間への透明性の視点がアトピー的自由計画の活動には欠けているよなという思いがありました。今、我々がやろうとしていること、壁になっていることをもっと目に見えるように公開すること、世の中と共有する必要性を感じつつ、少ない人数でどのように進めていこうか?という段階に入った時期でもあります。当の私は、このエントリーを書く直前まで、「やり遂げるのも勇気ですが、やらないと判断するのも勇気ですよ」と、参加者にも真剣に考えてもらうよう、やはり「反対」の立場を前提で考えながら、アトピー的自由計画で「アトピー的コレクション」の活動を行なうという決定事項に対して、「ではどのようにやっていけばできそうか」を整理しながら腹をくくった時期でもありました。

個人としては、アトピー的コレクションというプロジェクトにはこの時点でも全く魅力を感じていませんでした。しかし、アトピー的自由計画の活動方針としては、「アトピー的コレクション」を1年間遂行すると決まったからには、自分の行動ポリシー、思想に反しない方向性を探りながら自分が協力可能な担当領域、捻出できる作業範囲を限定し、自分の関わる領域には決して手は抜かないというスタンスでした。よく、失敗を恐れずに伸び伸びやればよいという人がいますが、私はこの他人事のスタンスは好みません。我々の現状はどこに強み、弱みがあるのか?というのが把握・整理できていないなかで場当たり的に伸び伸びダラダラやるという環境は、私には耐えられないからです。必ず成功させねばと力みすぎる必要はないですが、少なくとも「全力は尽くすが、失敗は最小限に」「これなら自分でもできることがありそうだ」というレベルの、自分が関わるという決断をするに足りうる材料、回避できるレベルのリスクだという認識がなければ、決断する意味もないはずです。単に「面白そう」「わくわくする」というノリだけで突っ走るのも好みません。アトピー的自由計画の現状分析をし、自分の中にアトピー的コレクションというプロジェクトに関わる価値が本当にあると判断できるだけの大義名分・メリットなどの材料を自分なりに更に整理する時間が必要でした。

(4)KOBE HYOGO2005応募前夜:やってみるという前提での現状課題分析段階

アトピー的コレクションを実施後に患者はどんなメリットを得るのか?あるいは直接的、間接的に、アトピー患者の自立につながるのだろうか?ということを可視化し公開すべくロードマップを作りかけている。
私としては、
  1. アトピー患者個人に対して物販を行わないプロジェクトであること。
  2. しかし、アトピー患者個人には中長期的にメリットがあると想像できるプロジェクトであること。
  3. 上記メリットとは、(1)を満たしつつ患者が自立できる環境が整っていく、あるいは自力で獲得できる機会が増えることが見えること。
という条件を満たしている活動となってほしいと思うのと同時に、誰が見ても納得できるプロジェクトなのかがもっとわかりやすく見えるようになればいいのになあと思っている。
ちなみに下の画像は、プロジェクトの概要に、短期、中長期の時間軸をつけて、そこから得られると思われる期待効果、あるいは目標を整理してみたものである。(注:この図の見解は、夢基金に提出されたアトピー的コレクションの企画概要を見たり、高山さん出口さんから話を聞いたりしたことを可視化すべくロードマップにしたものだが、私個人の現在の解釈や思い入れが混じっているので、必ずしもアトピー的自由計画の公式見解と合致しているものではないかもしれない。今後の参加下さる方との更なる刷り合わせ等によりブラッシュアップされることを望む。あるいは参加される方それぞれの数のロードマップがあってもよいのかもしれない。)

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ゆっくりではあるが、アトピー的自由計画の公式サイトにもっとわかりやすい文章や資料が今後掲載されていくと思うが、現状は、「こんなのやっていきます。ということで、参加者募集します。」という唐突感が先行しているのかなあと感じている。
時間的に厳しい環境下での意思疎通、刷り合わせは難しいのだが、現在は夢基金の事務局にプロジェクトの活動内容の理解を得ることには成功しているが、次の段階に大切なことは、我々アトピー患者、サイトを訪れる一般の人にもわかりやすく方向性や具体化過程が見えるようになっていることだと思う。しかし、このプロジェクトに参加することで得られるであろう魅力・遂行に伴う課題はまだ見えるようにはなっていないと感じている。下の図は、現在の状況をSWOT分析したものである。

20050113-3.jpg

脅威・弱み(外的要因・内的要因)はサイトの充実・ラジオの有効活用などで克服できそうなものもあれば、我々の心構えやプロジェクトの遂行過程の透明性の確保など、取り組み次第で回避できるものもあるので、その対応策・課題が見えるようにしておくことも重要である。先日の刷りあわせで出てきた主な課題は以下の通り。

  1. web、ラジオ枠など、情報収集、公開用の「箱」や「機能」は少しずつ満たされてきたが、それはあくまで「箱」であり、プロジェクトの参加を促す直接的要因にするには限界がある。webにしてもラジオにしても、連絡、問い合わせいただいたときの一時対応をもう少し大切にすること。また、個々の対応状況が断片化している。対応状況も含めた共有が必要ではないか?
  2. このプロジェクトでメリットを得るべきなのはアトピー的自由計画ではなく、アトピー患者であるのは言うまでもないが、アトピー的自由計画、アトピー的コレクションに参加し、プロジェクトを遂行する過程にある充実感や楽しさという魅力も伝える必要があるのではないか?
  3. そのために必要な要素としていかに「見える」化するのか?ネットを使う部分が占める領域も大きいが、そのために見やすく、わかりやすいwebの画面誘導になっているか?
  4. 総じて、箱はあっても会そのものへの参加しやすい雰囲気をどう作っていくか?
通常、商用・非商用に関わらず、一時対応はwebに関わらず電話やFAX、対面においてもそのフォローがどこまでされているかは重要で、これをもう少し円滑にできるよう、輪番で対応してみようということになった。要は月交代で各自担当し、対応状況を共有するということだ。

ということで、私個人の場合ですが、このあたりの時点でようやくアトピー的コレクションというプロジェクトに関わって、1年間動いてみるかという判断に至ったのでした。

しかし、この時点でもどうしてもやりたくないよなあと思っていたことが1つありました。1年間アトピーと服について考えながら、炙り出されてくる生活上の課題、自力で解決できそうな情報の項目洗い出し、情報の集め方、公開のしかたなどを模索する段階に入った訳ですが、最終成果物として発表するにあたり、「ファッションショーを行なう」ということが唐突に前面に出る場面が目立ち、そんなチャラチャラしたイベントは反対でした。地味でこじんまりしていてもよいので、ファッションショーというものなどはもともとやらない前提での発表会、或いは一般参加者を含めたシンポジウム・或いはパネルディスカッションではなんで駄目なの?ということを考えていました。(今振り返って見ますと、夢基金に助成金申請した企画書などに「ファッションショー」を行なうという文言があったのを見て、ああ、確かにこれはいかん。と今更ながら思うところです。)

プロジェクト内容:アトピー患者が日常から工夫している服のノウハウを、ホームページで募り公開していきます。その声をラジオ番組などでも発表をしていきます。集まった情報をもとに衣裳の製作も行い、ファッションショーを開催します。

(5)こうべUD広場UD連続講座の受講がアトピー的コレクションの活動項目に組み入れられた時期

我々の意識レベルでは、実は昨年夏を過ぎたあたりから、「ファッションショーは無理してやらなくてもちゃんとしたイベントができるかもしれない」「服を作る必要もなく、既存の一般に流通している服周辺の普段の自分の選択・組み合わせを整理・検証するだけでもかなり意義のある活動となる」という認識が定着してきていたのですが、それがいつのまにか「もともとファッションショーをやるとは一言も言っていない」と我々自身で思い込んだまま活動していたなあとも思いますが、結果としてこのプロセスは良かったと思います。ここは助成金獲得に奔走してくれた高山家さんには申し訳なかったと思いますが、最初の企画段階で「ファッションショーはしません。パネルディスカッションかシンポジウム形式で、楽しく分かりやすいイベントをやります。」と言い切る企画で採択されていた方がもっと動きやすかったのかもしれません。(但し、ファッションショーをやらない前提では、第一印象や面白みという意味では採択されていなかったかもしれません。)

なんでみんなファッションショーばっかり口にするんやろと、思い返せばこの一年、ファッションショーの一人歩きをさせないよう繰り返し繰り返しそのエントリーを私は書いていたのも滑稽ですが、このファッションショーなしのイベントとするという着地点に落ち着いたのは、自分のわがままが通せたというよりも、我々のやりたいことは何か?、どのように伝えていかねばならないのか?、できることは何か?、最低限押さえるべきポイントは何か?をじっくり考え、すり合せする時間を作ってみんなで考えた末の自然な流れであったとすれば、あながち自分の当初のファッションショーをするということへの拒否感、自分自身の判断はぶれたものではなかったなと思います。今となって思うに、そういう意味ではこの一年間、高山家さんにはKOBE HYOGO 2005事務局のファッションショーへの期待と、私の「ファッションショーはしない」の板ばさみで苦労をかけてしまいました。

上記プロセスを経て、昨日のイベントが具体化され、無事実施されたわけですが、それまでの間、我々自身も遠回りではありますが、「一般の人も快適に過ごせる服で、アトピーの人も当然同じく快適にすごせる服」という視点に立ったときに、ユニバーサルデザインという概念はどのようなものなのかを少しでも知っておく必要があるということで、アトピー的コレクションのアプローチとしても、ユニバーサルデザイン的な服を意識し始めました。ちょうど一般市民向けの講習が月1回、全部で6回のコースで受講できるということで、この連続講座を受講することも、我々の活動項目に組み入れ、実際私も受講することにしました。これを受講していた時期は、本業の残業が月75時間を超過し、土日も休日出勤していたこともありましたが、現在振り返るによくこれに参加する時間を捻出できたなあと自分では感慨深いものがあります。(皆勤賞を自分で自分に表彰しました。)

こうべUD広場UD連続講座第一回(全六回)メモ
こうべUD広場UD連続講座第ニ回(全六回)メモ
こうべUD広場UD連続講座第三回(全六回)メモ
こうべUD広場UD連続講座第四回(全六回)メモ
こうべUD広場UD連続講座第五回(全六回)メモ
こうべUD広場UD連続講座第六回(全六回)メモ
ここで受講したことが、直接我々のプロジェクトの血となり肉となったといえるかは、目に見えるものはないのですが、上記6回の講習を受講したなかで、アトピー的コレクションの実施内容、最終的に成果発表をする方針が一緒に受講したアトピー的自由計画関係者の中で共有されはじめた時期でもありました。私なりにはこうべUD広場UD連続講座第四回(全六回)メモこうべUD広場UD連続講座第六回(全六回)メモにそれを少し言及しています。

よく、「アトピーの人は、この服を、この下着を、この素材を」と自社製品、ブランド、素材のアピールに終始し、本人の選択の幅を狭めて迷惑をかけてることに気付かないマスターベーションな輩は醜いものだが、これと同じくユニバーサルデザインに携わる人が、「これはユニバーサルデザインではない。バリアフリーだ。」というバリアフリー批判に終始する場面を見ることがあるが、これも同じく見ていてとっても見苦しいと感じるときもある。そのあたりをおさえたコミュニケーションをしっかり意識されている方だなと感じた。

上記を踏まえて、我々も「これはユニバーサルデザインではない。バリアフリーだ。」というバリアフリー批判に終始して議論を空回りさせないようにせねばならないという意味も込めて、こうべUD広場UD連続講座第四回(全六回)メモに掲載しておいた図を敢えてここでも再掲しておきたい。

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この図の基本的考え方を踏まえながら、今はバリアフリー的アプローチであってもユニバーサルデザインに適合できる可能性のある取り組みをされている参考例になるケースはあるという考え方に立ち返ると、今回の出展者の方々との協調も今後できるような気がした。

誰もが快適に衣食住の衣の領域を楽しめるようにという思想は確かにすばらしい。それを現物として世に出すには、少なくとも2つのアプローチがあるのかなとおぼろげながら感じた。

  1. 上記のように、XXの人でも着ることのできる機能、素材、デザインの服を作る。(製品化)
  2. 一般の人が着る服という標準概念に、できるだけXXの人でも着られるという機能を随時取り込み標準概念を発展させる。(既存の標準に取り込む。既知の機能、デザイン、素材に新しいものを追加し続ける)
上記1だけでも悪くはない。また、2は確かにすばらしいが、逆にあまりにもおぼろげ過ぎてそれをイメージすることは難しい。(だからデザインや設計がある。)また、上記2のアプローチも、さらに、基本とオプションに分けて、1のアプローチと組み合わせることで2が組みあがってくるという可能性もある。逆に、万能を目指しているにもかかわらず、誰にも役立たないものになってしまう可能性もあるかもしれない。現実的には1と2が混在しているが、大切なのは、それが手にとってわかるように流通が起きていることと、我々がそれぞれの良さ、改善の余地などを知ること、または選択する時にどんな基準で選択しているのかを知ることかもしれない。

そんなことを感じながら、この展示を見学できたのは面白かった。残念なのは、展示物が殆ど女性用、男性用は一点のみだったこと。男女いずれにも着こなせて、また、我々アトピー患者でも着ることのできるものという展示物はなかったので、リクエストを出しておいた。

一見普通の服。アトピーの人も安心して着られる服と一言で言うと難しいかもしれない。しかし、今私が着ている服にしても、特別に誂えたものではない。カジュアルもフォーマルもだ。私はおっさんなので、そんなおしゃれでもなく、カジュアルはここ数年ユニクロ以外で買うことはない。下着はコンビニのトランクスや靴下、ワイシャツの下にTシャツも着ないことも最近多いが、特別なコットンを使ったものを選んでいるわけでもない。実際これらで十分だから。。。唯一の懸念は、ユニクロが未来永劫存続し、現在のように潤沢に商品が供給され続けるのかということだけである。もし、ユニクロがなくなっても、同類の他社、またはそれの複数が乱立するほうが選択肢も増えてよいとも思う。店頭で手にとって触ってみて、快適に着られると感じて購入するのを決めるときの素材感で無意識にやっていることがひとつある。例えば、YシャツやTシャツを手に取ったときは、裏地を首筋にくっつけてみて、少し掌で押さえて2~3センチこすってみる。これでチクチクしなければ、綿100%でなくとも快適な生地があるものだ。勿論その日の体調にもよる。

同じく、以下のまとめを書く段になって、ようやくアトピー的コレクションで実施すべき項目が少し見えはじめてきたとも言えると思います。

まとめ
およそ半年にわたり受講してきたわけだが、これとアトピー的コレクションとどう結びつくの?と感じられる方もいるかもしれない。今回受講した方々からの話もまとめると、以下のような感じか?

  1. ファッションショーを派手にやる必要はなく、今回のユニバーサルファッションの出展方法のような展示でも十分。
  2. 新しい服を作ることに目が行きがちだが、既知の服、あらゆる生活用品の組み合わせ(タオル、ハンカチ、)の集積、アトピー患者のノウハウの共有、公開ができる環境を整え、細々とでもそれを継続することに意義がある。
  3. 上記選択を自身でできることは職業としても確立する分野となるかもしれない。例えば、ホテルマンにはコンシェルジュ、レストランにはソムリエがいる。服屋さんにはハウスマヌカン(死語?)がいる。

わかりにくいかもしれないが、これらは車の両輪である。また、ブランド化や製品化というものづくりの世界だけの視点だけでも意味がない。特に我々に直接関わるという意味では、上記3はアトピーであれば自身の服の選択そのもののメリットを享受できるし、一般の店頭スタッフが一般の方のみならず、アトピーの方の体調に応じた組み合わせ提案ができるような情報として蓄積する価値はあると考えられる。 私はアトピーの人向けの服とやらは一着も持ってなくても生活できている。同じく、この10年を振り返っても、快適性という観点では何がしかの工夫、選択は自分で行なってきたが、その場面でアトピー専用の衣類という概念、ブランドを押し付けられる生活ほど息苦しくつまらないものはない。

(5)情報収集、蓄積、整理段階

上記こうべUD広場UD連続講座の受講が終わったあとは、実際の服の組み合わせやアイデアの収集の段階に入り、以降はそのためにWebやラジオでの告知などを地道に行ないつつ、集まった情報を高山家さん、たかとりコミュニティセンターの方々によりカテゴライズされて整理されていきました。また、イベントではどのような流れにしていくかということが少しずつ具体化されはじめ、その都度たかとりコミュニティセンター内のデザイナー、FMわぃわぃさんなどにも作業分担がされていきました。この時点での「私たちはこのようなイベントにしたい」という要望と、たかとりコミュニティセンターのリソースなどのマッチング、進捗管理、夢基金事務局との折衝など、高山家さんのコーディネートが占める負荷が大きくなってきた時期でもあると思います。建設的な意見とはいえ、色んな協力者からの 要望や苦言など、ますます板ばさみで大変だったのではと思いますが、この時期をよく乗り切って関係者を引っ張ってくれたと思います。

(6)そして昨日イベントが実施され

こういう紆余曲折を経て、昨日のイベントが実施された訳ですが、前日、当日の準備もたかとりコミュニティセンターの方々のサポートもあり、イベント自体はトラブルなく円滑に実施できたと思います。参加者はイベント関係者を含めて約20名。アットホームなイベントが実施できたと思います。昨夜の帰宅直後のエントリーでも引用しておきましたが、謝辞を以下に引用再掲しておきます。

20060312-0.jpgアトピー的コレクションのイベントは本日無事終了しました。参加くださった方々、協力くださったたかとりコミュニティセンターのスタッフの皆様、有難うございました。

以下、自画自賛ですが、謝辞を続けます。
アトピー的コレクションの企画立案、夢基金へ助成金申請のプレゼン、各種報告などの実務に奔走し、たかとりコミュニティセンターの各NPO、FMわぃわぃさんとの協力関係維持など、今日の実施まで引っ張ってきた代表の高山家さん、アトピー的自由計画 On the Radioの放送収録時にいつもミキサー、途中にはさむ音楽CDの選定、イベントチラシデザインを根気よく担当しその職務をこなされた岡部さん、アトピー的自由計画 On the Radioの放送収録時に時には司会、パーソナリティ、屋外への突撃取材を実行してくださったサモさん、同じく時には司会、パーソナリティに挑戦してくださった女性お二人(田原さん、柾木玲さん)、同じく遠方の相生から神戸まで通いリアルでのミーティングにも積極的に参加下さり、ラジオでは司会、パーソナリティ、ラジオの開始、終了時のジングル・フラッシュ音源を作成・提供してくださったAnimalDさん、同じく、第19、20回放送収録時からゲスト参加下さり、本日イベントの前日の機材の積み込みから受付、リント布の入手方法、現状の入手困難な状況などの問題点を詳しく解説くださったあとっぷの山下さん、当サイトへコメント、トラックバック、フォームメールによるメッセージ送信で情報をお送りくださったブロガー、インターネットを利用されている多くの皆様、有難うございました。

最後に、本日参加くださった皆さん、今後の我々の活動の参考になる貴重なご意見をたくさん自由記述のアンケート用紙に記入下さり有難うございました。現在このアンケートのサマライズ作業を行なっております。本日のイベント実施までに蓄積したアトピーと服のアイデアの情報と同じく、当サイトで別途公開し、一般の方々、アトピー患者との間で共有できるようにしたいと考えております。

by アトピー的自由計画関係者一同

【3/27追記:参考】
朝日新聞兵庫版に当日の模様が掲載されています。
asahi.com:アトピー患者自らが病気について発信(2006年03月27日)

【3/27追記ここから】

asahi.comの記事のスクリーンショット
新聞社のサイトの過去記事コンテンツは日がたつと見えなくなったり、ディープリンク(記事そのもののURLへのリンク)を禁止していたりなどネット利用者の利便性に配慮していない問題がまだまだあるので、自衛策として記事のスクリーンショット画像おいておきます。

【3/27追記ここまで】

丁度よいタイミングで高山さんもイベントの感想を書いているので、重要な部分を以下にご紹介。

 当事者にとっては当たり前のことなので「これぐらいのことわかるだろ」と思って話をしても、伝わらないことは今回のイベントでもあったと思う。しかし、当事者が第三者に向けて説明しようという試みは、わかりやすく説明できるようになるまで回を重ねることで完成していく。今回のイベントに参加していただいた非アトピーの人は絶賛だけでなく率直な意見も伝えてほしい。アトピーのことを理解してもらいたいと願うアトピー患者に対して同情心は必要ない。対等な立場で意見が取り交わされるからこそ、より良い社会になるのだと思う。参加いただいた非アトピーの方々には、アトピーのことが第三者にわかりやすく説明できるようになる過程も是非見守ってほしいところである。

同じくあとっぷの山下さんのblogで当日の感想のエントリーが追加されているので少し紹介。

一般の方とアトピーの方とで、ディスカッションが違うのが面白かった。
一般の方は「へぇ~、そんなとこでこんなふうに困ることがあるのか?」
アトピーの方は「服」についての工夫よりも、体験談を話し、そして盛り上がる。(^^♪
イベント半ばでの締めは、なんと「キモノ着ましょう」と、お二人が登場されたことだ。
まああれはあれでアクセントになって面白かったと思う。
終了後は新長田のお好み焼きで軽い打ち上げ・・・。
取材に来ていたサンテレビが、なんと当日の18時のNEWSに出るって知らなかった。
思わず店のおばちゃんに「サンテレビにしてもらえますか?」
『アトピーの対策を考える会』・・・・・・・・・
『市民団体』・・・・・・・・・・
あのぅ・・・私達そんなんちゃうんですけど・・・
結局、「アトピー的自由計画」という言葉は一言もなかった。
大衆に理解できるようにしているとは思うが、「対策を考える会」かい?
なるほど・・・、でもそれも固有名詞のような・・、それなら、「アトピー的自由計画」のイベントという云々・・」としてほしかった気もする。
さて、朝日新聞からも取材が来ていたが、いつ掲載するのか教えてもらっておりません・・
いつなんでしょうか?
第2回はどんなスタンスで行くかな?
それはこれからの参加者にも関わってくると感じる。
時間軸で現在という瞬間を捉えますと、現在は1年前、或いはそれよりもっと過去からの結果であるのと同時に、現在は1年後、10年後の通過点かスタート地点でもあります。

我々が大切にしたい基本的な考え方がきちんと伝わったかな?一般の方で参加下さった方にもアトピーのことが少しイメージしていただけたのかな?、アトピーとは何ぞやと考えてもらえるきっかけになったのかな?などと考えつつ、当エントリーの冒頭で書いたように「我々は「アトピー患者2.0」のみならず、その先の3.0→10.0まで見越したあるべき姿も模索していかねばと」思うのでした。

アトピー的コレクション:本日13:00-15:00実施です

前日(3/11(土))は午後から最後アトピー的コレクションの準備の仕上げをして、先ほど帰宅しました。もう日付がかわり当日になっておりますが、本日13:00よりアトピー的コレクションのイベントを実施致します。当日参加下さる方とお会いできるのを楽しみにしております。



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ダウンロード:rec-20060312-0153.mp3

[mp3:http://www.atopic-info.com/archives/podcast/rec-20060312-0153.mp3:アトピー的コレクション:本日13:00-15:00実施です] イベント名称:アトピー的コレクション
日時:2006年3月12日(日)13:00-15:00
場所:ギャラリー神戸天昇堂
最寄駅:阪急春日野道駅

[map:神戸市中央区割塚通7-1-21]


ギャラリー天昇堂サイトの地図(周辺コインパーキング情報あり)

内容:下のチラシを参照ください。たくさんの方のご参加、当日までの情報提供お待ちしております。 チラシはたかとりコミュニティセンターの田口さんのアドバイスのもと岡部さんが作成されました。 アトピー的コレクションチラシ(表面)
チラシのPDFデータのダウンロードはこちらをクリック。ダウンロードにはAdobeReaderが必要です。
20060205-0.jpg

アトピー的コレクションチラシ(裏面)
チラシのPDFのダウンロードはこちらをクリック。ダウンロードにはAdobeReaderが必要です。
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「アトピー的コレクション」では、アトピー患者さんたちが苦痛を軽減するために、または、おしゃれを楽しむために自身の衣服にどのような工夫をされているのか、アイディアを継続して募集しております。どうぞよろしくお願い致します。

アトピー的自由計画へのメッセージ送信方法:

  1. フォームメールでメールする。
  2. アトピー的自由計画掲示板へ書き込む
  3. アトピー的自由計画からのお知らせの各記事に「コメント」というリンクがありますが、これでも書き込めます。 アトピー的自由計画からのお知らせの各記事に、あなたのblogからトラックバックPingを送信する。
by matsuoka

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kobe hyogo 2005 夢基金プロジェクト遂行に伴うアトピー的コレクションプロジェクトスタッフ募集
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こうべUD広場UD連続講座第一回(全六回)メモ
こうべUD広場UD連続講座第ニ回(全六回)メモ
こうべUD広場UD連続講座第三回(全六回)メモ
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こうべUD広場UD連続講座第五回(全六回)メモ
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アトピー的自由計画 On the Radio 第20回

アトピー的自由計画 On the Radio 第20回の放送は2006年3月11日土曜日16:00-16:30です。
また、この翌日3月12日、「アトピー的コレクション」というイベントに参加予定です。詳細は以下を参照下さい。



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[mp3:http://www.atopic-info.com/archives/podcast/rec-20060305-2211.mp3:アトピー的自由計画 On the Radio 第20回]

  1. 放送日時:2006年3月11日土曜日16:00-16:30
  2. 放送局:FMわぃわぃ
    http://www.tcc117.org/fmyy/
  3. 番組表(第二土曜日):
    http://www.tcc117.org/fmyy/timetable/sat.html
  4. 概要:
    司会:サモさん
    ミキサー: 岡部さん
    ゲスト:山下さん トーク参加者:高山さん、岡部さん、サモさん、松岡さん

    前半は、前回放送の続きで、アトピーを笑い飛ばす会(あとっぷ)を運営されている山下さんをゲストに迎え、あとっぷの活動に関してお話いただきました。

    後半は、アトピー的コレクションのイベント詳細に関してお知らせ。(この放送の翌日がアトピー的コレクションのイベント実施日となります。)夢基金の認定プロジェクトとしてこの一年行なってきたアトピー的コレクションの活動成果を発表するイベントを行ないます。概要は以下の通りです。

    イベント名称:アトピー的コレクション
    日時:2006年3月12日(日)13:00-15:00
    場所:ギャラリー神戸天昇堂
    内容:下のチラシを参照ください。たくさんの方のご参加、当日までの情報提供お待ちしております。 チラシはたかとりコミュニティセンターの田口さんのアドバイスのもと岡部さんが作成されました。

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ラジオの聴き方:

アトピー的自由計画 On the Radioを聴くにはRealPlayerがインストールされている必要があります。
放送聴取用のURL:
http://www.jp.real.com/fm-yy/fmyy.ram
fmyy.png
参考URL:
番組表(土曜日)
「インターネットでFMわぃわぃを聴こう」
RealPlayerのダウンロード
(リンク先画面右の無償版 RealPlayerのダウンロードで充分聴けます。)

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没後50年 モーリス・ユトリロ展


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ダウンロード:rec-20060302-1730.mp3

[mp3:http://www.atopic-info.com/archives/podcast/rec-20060302-1730.mp3:没後50年 モーリス・ユトリロ展] 20060301-0.jpg難波の高島屋で「没後50年 モーリス・ユトリロ展」が開催されているということで、昨夜会社の帰りに寄ってみた。高校のときは姫路市立美術館が学校と目と鼻の先だったので、ロダン展や中西利雄展など、少ないお小遣いで学校の帰りに足を運んでいた時期もあったが、高校以来約20年ぶりの美術鑑賞となる。白の時代に代表される作品以外も含め、80点が展示されており、これだけの作品の本物を一度に目の前で鑑賞できる機会もそうないだろうと思い、高島屋に向かった。展示会場が7Fのグランドホールということだったが、エレベーターを降りたところに確かにユトリロ展の案内看板が立てかけてあった。しかし、女性の下着売り場の中を突っ切って左に折れなければならず、この通路は男1人では歩きにくい。結局下着売り場の真ん中の通路を歩かず、時計回りの反対にフロアの端っこから迂回してようやくたどり着いた。チケットを受付で渡し、傘を預かってもらってから展示会場の中に入り、約一時間かけてじっくり観賞できた。ユトリロの作品といえば、人物の描写が構図の中では殆どが黒っぽい点や線にしか見えないほどぽつぽつとしか描かれておらず、また、風景においても、自然を描くというよりは、建築+一点透視の遠近感のある構図が多い。中学の時に遠近感があり、建物の質感がリアルだけど優しい白の使い方やなあと思っていた「コタンの袋小路」(こんな絵です。)という作品の展示があるか期待していたのだが、残念ながらこの作品は展示されていなかった。

画家としてのユトリロの略歴

  • 1883年 パリ・モンマルトルに生まれる。
  • 1891年(8歳) ミゲル・ウトリーリョ・モルリウスにより認知され、以後ユトリロの姓を名乗る。
  • 1896年(13歳) パリのロラン中学校に入学。飲酒癖がひどくなる。
  • 1904年(21歳) パリのサン=タンヌ精神病院に入院。退院後、医師の勧めで絵を描くようになる。
  • 1914年(31歳) モンマルトルの建物や風景を重厚なマチエールで描く独自の世界を築き上げ、この頃<白の時代>の絶頂期を迎える。 そして、精神病院への入退院を繰り返す。
  • 1928年(45歳) レジオン・ドヌール勲章シュパリエ賞を授与される。
  • 1935年(52歳) リュシー・ヴァロールと結婚。
  • 1938年(55歳) 母ヴァラドン死去。
  • 1955年(72歳) 南仏ダックスにて死去。モンマルトルに埋葬される。

20060301-1.jpgユトリロの生涯は、調べれば調べるほど辛くなってくる。ロートレックやルノワールのモデルであり、自身も絵筆をとっていた母親シュザンヌ・ヴァラドンは18でユトリロを産んだが、その父親は誰なのかはわからない。昼間は自身のアトリエで絵を描き、夜はモンマルトルでその美貌を武器に浮名を流した奔放な女性であったらしい。一方ユトリロは祖母に預けられ、母親の愛情を受けられず寂しい幼少時代をすごしたようだ。この母方の祖母もまたむちゃくちゃで、偽金の運んだ罪で捕まった鍛冶職人の男(後に無期懲役)との私生児がユトリロの母。この祖父はギニアで獄中死している。ユトリロは15歳で既に重度のアルコール中毒による精神障害。精神病院に入院中に治療の一環で絵を始めたらしい。モンマルトルの人々から「リトリロ」と呼ばれていたそうである。ワインをいつも1リットル単位でがぶ飲みし、その絵の価値に本人も周囲の人間も気づかず、二束三文で売っ払ったカネをお酒にかえ、アルコール中毒になっては精神病院に入院したり刑務所で服役したりとむちゃくちゃな生活であったり、二歳年下の母親の二人目の旦那(つまりユトリロから見ると、お父さんが二歳年下。これだけでもむちゃくちゃ)のマネジメントの元、作品を描かされていたらしい。ジャンヌ・ダルクと実母を慕いながらも、女性に対する極度の嫌悪感を持っていたのかもしれない。ユトリロ自身は母親の友人(ユトリロより12歳年上)と結婚したらしい。今回展示されている作品を見ていて、同じ題材(風景)を何度も別の作品として描いてるなと思っていたのだが、これには理由があった。風景画を描くのだからてっきり、イーゼルとカンバス、絵の具を手に屋外で描いていたか、あるいはスケッチブックに描いてから自宅のアトリエで描いていたのだと思っていたが、実は絵葉書の写真を見ながら何度も描いていたようである。生前にその絵の価値が上がったことだけが唯一の救いか。。。強烈過ぎる家庭環境と、息子を踏み台にした母親の奔放な生き方など、その背後関係などの解説も丁寧に展示会場のパネルでは時系列で解説されていたのだが、自分の好きな作品を描いていた人の一生がどのようなものだったのかを少し知ったあと同じ作品を見て「この名画が生まれるにはこのような犠牲が必要だった」とは素直には思えなかった。

正直なところ、むしろ「たかがユトリロ一人の絵が世の中に存在しなくとも、それよりもユトリロ個人の生涯がもっと平凡なものであったほうがよかったのではないか?」とさえ思うこともある。おそらく、こういうことを考えてると、貴重な人類の遺産の存在にけちをつけるのかと恫喝される可能性もあるが、身近な人間が将来を嘱望されるほどの絵画の才能があり、同時に病んでいた場合、その隣人にどうなってほしいかを考えるに二つの方向性のいずれを推すかに苦しむ。ひとつはその隣人の才能が開花し、生きているうちのにその名声をほしいままにすることを望む。もうひとつは、職業としての芸術家というカタギでない世界よりも、平穏で安定し、健全な人生を歩んでほしい。両方を望み、それを全て手にすることができるのが最も望ましいのだが。。。

確かに「白の時代」と呼ばれる時期の作品の漆喰の壁の色彩には今でも惹かれるのだが、こんな病んだ人生は決して歩みたくはないし、自分が知る親しき大切な人にはそんな思いをしてまで優れた作品と呼ばれるものを世に生み出す必要などない!と思うこともある。(これがその人にとってベストかワーストなのかはわからない。)もし自分が時間と歴史と世界を支配できる存在ならば、迷わずユトリロの祖母の若い時代まで遡ってこの女性が歴史上存在しなかったことにしていたか、どうしてもユトリロが生まれてくる歴史の流れがあったとしても、別の母親(或いは父親)のDNAを受け継がせられるよう最大限の努力を払っただろう。

しかし、病んでいても人間生きていけるのも事実。ここらへんは自分の中でも若いときに葛藤があったが、私はあっさりただの人として生きる道を選んでしまった。幼いとき、或いはまだ学生だった頃漠然と「画家か彫刻家になりたい」と思っていたことは、いつからか「趣味でええやん」と自分に言い聞かせ、挙句はそんなことすら忘れてしまっていた成れの果てが現在のサラリーマンどっぷりの自分だったりする。今では鉛筆を握っても、文字すら汚くなってしまっているし、基本的な素描(デッサン)の腕も落ちてしまっているが、これには後悔はない。むしろ、職人として生きるか、画家として生きるかという区別も若いときに真剣に考えていなかったのもある。

ユトリロの不遇で病んだ生涯、彼の名画が生み出されていくまでのプロセスとは切り離して、作品は確かにすばらしく、その本物を目の当たりにできたのは嬉しかったが、やはりそれでもどんよりとした後味の悪さが感動の何倍もの強さで突き刺さってくる。それ故にこの画家の作品への思い入れも強いのも否定はできないのだが、複雑な気分ではある。3/13まで開催されているので、もう一回くらい足を運んでみようかなと思った。記念に展示会場の出口で売っていた図録「Cinquantiéme Anniversaire de la Mort de Maurice Utrillo」を購入した。

20060301-2.jpg

参考:
Wikipedia:モーリス・ユトリロ
Bienvenue
Nokko’s 『わたしの日記』:ユトリロ展
(・_・)b:ユトリロ
小人閑居日記:「モーリス・ユトリロ展」
ブログ・つれづれ草:ユトリロ展
212.com:モーリス・ユトリロ展でパリの復習
三太・ケンチク・日記: 「没後50年 モーリス・ユトリロ展」を観た!
わたぼうしの日々。:“漆喰に塗りこめられた魂の叫び”(モーリス・ユトリロ展)
タッチアウトの日記:モーリス・ユトリロ展

アトピー的自由計画:神戸新聞記事

アトピー的自由計画が神戸新聞に掲載されていたので以下にクリップ。



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ダウンロード:rec-20060208-1301.mp3

[mp3:http://www.atopic-info.com/archives/podcast/rec-20060208-1301.mp3:アトピー的自由計画:神戸新聞記事]

アトピー性皮膚炎の悩みを共有し、患者に前向きな生き方を提案するグループが、長田区にある。インターネットやラジオでの情報発信を続けており、3月には患者に優しい服を考えるイベントを計画している。効果的な治療法はなく、症状を苦に引きこもったり、自殺する患者もいるというアトピーだが、メンバーは「症状とどう向き合うかが大事」と話す。(横田良平)

 同区久保町六、アスタくにづか四番館内の「アトピー的自由計画」。

 厚生労働省などによると、アトピーの症状・程度は個人ごとに違い、かゆみが続くほか、難聴などの合併症を引き起こす。一般的に行われているステロイド治療で症状は緩和されるが、治癒には至らないという。

 グループの結成は、代表で、自らもアトピー患者の高山哲(てつ)是(よし)さん(29)が、一九九六年、患者が悩みを投稿したり、自身の体験を伝えるホームページ(HP)を立ち上げたのがきっかけ。二年前からは月に一度、同区のコミュニティーラジオ局「FMわぃわぃ」で情報発信を続けている。

 活動の指針は「病気を受け入れての自立支援」。患者会の多くが治療法を追求するのとは異なり、まず「アトピーは治らない」と示す。効果的な治療を求めて高価な薬剤を購入し、失敗する患者が後を絶たない中、精神面のケアで症状が回復する場合もあることから「前向きに生きよう」と呼びかける。

 三月十二日には、中央区のギャラリー「神戸天昇堂」で「アトピー的コレクション」と題し、患者向けの服を紹介する。現在、服のアイデアを募集しており、高山代表は「アトピー患者用の服の紹介を通して、一般の人にも患者の悩みを理解してもらえれば」と話す。 ホームページはhttp://www.atopy.org

参考:
第2期 認定活動報告 - KOBE HYOGO 2005

無資格診療の鍼灸師が逮捕

無免許でアトピー治療などの医療行為を行なっていた東京の鍼灸師が無資格診療で逮捕された模様。



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ダウンロード:rec-20060202- 0905.mp3

[mp3:http://www.atopic-info.com/archives/podcast/rec-20060202-0905.mp3:無資格診療の鍼灸師が逮捕]

 無免許で血を抜くなどの医療行為をしたとして、警視庁生活環境課と向島署は一日、医師法違反(無資格医業など)の疑いで、東京都墨田区押上三、「権田鍼灸(しんきゅう)・接骨院」院長の鍼灸師権田敏男(46)=同区東向島三=と、副院長の同、栗山健(32)=同区東向島四=の両容疑者を逮捕した。

 調べでは、二人は医師免許がないのに、二〇〇三年六月から昨年二月にかけて、同区内のアトピー患者の主婦(32)ら八人に対し超音波検査による診断や針で血を抜く治療計約九十回を行ったり、〇四年六月から昨年五月にかけて、同区内の女子高校生(17)ら三人に五回、診断書を出した疑い。調べに権田容疑者は「治療は効くと思っていた」と供述しているという。

アトピー患者のライフサイクルにセーフティーネットが根付くまでに必要なこと(考察)

アトピー的自由計画 On the Radioの2月放送分の収録を一昨日行なった。いつも収録はだいたい16:00~18:00の時間帯で30分間分の音声を録音している。この収録開始までの13:00~16:00は、何の話を収録するかという打合せ、アトピー的コレクションの進捗をすり合せて当日片付くものは片付け、宿題は各自持ち帰るという感じなのだが、今回は14:30~16:00までの間にたかとりコミュニティセンターの10年の歴史に関してのオリエンテーション・ブリーフィングを受講する機会に恵まれた。



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ダウンロード:rec-20060123-1534.mp3

[mp3:http://www.atopic-info.com/archives/podcast/rec-20060123-1534.mp3:アトピー患者のライフサイクルにセーフティーネットが根付くまでに必要なこと(考察)] 私は正直なところ個人的には特定のアジア3国(具体的には中国・韓国・北朝鮮)の政府の外交レベルでの日本叩き、それを醸成しつづける非民主的な国民教育には腹にすえかねるものがあり、このお隣の3国が大嫌いである。(しかし同じく日本人でありながらも、日本社会自体の理不尽で嫌な部分にも怒り狂っている部分もある。)単にこのようにステレオタイプとしてとらえるのはよくないのは頭ではわかっていても、正直なところこの根拠なき嫌悪感がゼロであるかのように対面コミュニケーションにおいて取り繕うのにも実際は気を使うものだ。もうひとつ正直に言えば、私は宗教(世界の三大宗教、新興宗教に関わらず)というものや、狂信者には激しい憎悪を持っている。しかし、そんな私でもたかとりで地道に個々の活動をされている在日外国人の個々人やたかとりコミュニティセンターのスタッフの方への感情は180度逆である。

現在、たかとりコミュニティセンターには、主として10の団体が同じ事務所を拠点として、それぞれの実現課題・目標を持って様々な住民向けのボランティア活動・サービスを行っているが、単一の団体のみのお仕事でそれぞれがバラバラに動くだけではなく、時には全部が一緒に活動することがあったり必要に応じて単一のA団体とB団体が組むケースもあるのだが、それらがどのように発生し現在に至るのかということを多言語センターFACILの吉富さんから説明頂いた。

簡単にポイントをまとめると、1995年1月17日の阪神・淡路大震災が起きたあとに徐々にどのような問題が浮上し、どのような人が問題に直面し、震災直後、復興期に不足していた情報・物資・行政サービスへのニーズがどのように変化していったか、日本人の住民にはなんとかなっても、在日の外国人の方や高齢者には自己解決が困難なケースにどのように手探りで地域に住む在日外国籍の住民が対応してきたか?そんな中で色々なボランティア団体、自助組織がどのように発生し、人的ネットワーク・情報ネットワークが形成されてきたか?というプロセスを、年表、団体系譜図、及び1995年以降の各団体の活動記録を収めたVTRの解説を交えて説明するという内容であった。たかとりコミュニティセンターでは、定期的にこのオリエンテーションを実施しているとのことであった。以下に引用しているFMわぃわぃさんもたかとりコミュニティセンター内にあるコミュニティFM放送局である。このサイトに記述されている「FMわぃわぃの歴史」も比較的わかりやすく説明されているので以下に引用しておく。

1995年阪神大震災。そのとき在日外国人の人々は・・・
 神戸市には数多くの外国人が暮らしています。その中でもとりわけ長田区は在日韓国・朝鮮人をはじめベトナム人、中国人、フィリピン人などアジアを中心とした28カ国の外国籍の人達が住んでいます.95年1月17日に兵庫県南部を襲った大地震はこうした外国籍の人達にも多大な被害を及ぼし、数多くの方が亡くなりました。また家屋の倒壊などにより避難生活を余儀なくされた人達がたくさんいました。外国籍の人達は、この緊急時に言葉が通じなくて、必要不可欠な情報を得ることができずとても心細い思いをしていました。

FMヨボセヨとFMユーメン
 こうした状況の下、震災2週間後の1月30日にJR新長田駅近くの韓国学園の一室から被災した在日同胞に向けて、韓国・朝鮮語及び日本語による震災情報と韓国音楽を放送するミニFM局が開局しました。「FMヨボセヨ」です。これは大阪市生野区の在日韓国・朝鮮人向けFM局「FMサラン」の協力で、韓国学園の先生をはじめボランティア数人が日夜交替で長田で被災した在日同胞を勇気づけようと放送を続けていきました。

 一方、長田区に暮らすベトナム人も、そのほとんどが震災で公園や学校での避難生活を余儀なくされました。言葉の壁により大きな不安を抱えながらの避難所暮らしが続きました。そのベトナム人に必要な情報を伝え励まそうと被災べトナム人救援連絡会議が中心になって、「FMヨボセヨ」と「FMサラン」の協力でカトリック鷹取教会ボランティア救援基地の中にミニFM局を立ち上げたのが4月16日でした。「FMユーメン」です。「FMユーメン」はベトナム語だけでなく、フィリピン人に向けたタガログ語・英語、南米人に向けたスペイン語、そして広く地域住民に向けて日本語と、五つの言語で放送を開始しました。

全く知らなかったのだが、神戸市長田区は人工比率にして約10%が在日の外国人が居住しており、上記FACILでは英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、ミャンマー語、アラビア語、ベトナム語、タイ語、インドネシア語、タガログ語、ペルシャ語等に対応したまちづくりに必要な情報・サービス等を民間レベルで洗い出し、行政に提言・実行可能なものは行政も協力して具体化しているとのことであった。特に情報格差が著しく生じる要因の一つとして、言語のカベがあり、これを取り払えれば、そこから先のあらゆる分野に解決策が見えてくるということであった。特に非常時、有事の際にはこれは誰でもある程度はイメージしやすいことだが、平時においても景気の良い悪いに関わらずそれは地道に継続されていて意味のあるものになる。

どの団体も共通で持っているベクトルとしては、住民(日本人、在日の外国籍の人、強者弱者、多数派少数派に関わらず)が少しでも自力で生活できるようになるために必要なことは、何から何までボランティアが無償でやってくれるというサービスを充実させるのではなく、自分の住む地域で自力で安心して働き、安心して生活できるようになるためのスタートラインに立つまで、またスタートラインに立った後に不足している情報・サービスを情勢に応じて提供することが重要なのだと感じた。

人種の坩堝(るつぼ)と言われる米国の都市部のみならず、世界のあらゆるところにはゲットーと呼ばれる単一の民族や国籍の街が区画別に存在するが、私は長田もこのレベルでのまちのあり方・日本での共存を目指していると勘違いしていたのだが、それとはまた違うビジョンであり、おそらくどの国の都市にもまだ存在しない多文化・多民族・多国籍の街のあり方を模索しているのだなというのがやっとおぼろげながらであるがほんの少し理解できたような気がする。

さて、前置きが長くなったが、ここでアトピーの患者にも「窮状が一般世間に理解されていないマイノリティ(少数派)」という側面がある。一般個人それぞれにも好調・不調があるのと同じくアトピー患者であっても自分の体調・就労状況・経済状況・家庭環境など、情勢は日々刻々と変化するのは同じであり、それでも図太く、或いは穏やかに一般市民と同じく暮らせている状況下のアトピー患者もいれば、薬剤の濫用による副作用、家庭環境の悪化、学校でのいじめ被害、就職差別・リストラ、引きこもりや家族のアトピーを苦にした一家心中、アトピービジネスに代表される宗教被害・悪徳商法被害等など、理不尽かつクリティカルななリスク要因と背中合わせな中で社会適合するべく「見えざる苦労」をしている人もいる。病状の不快感という一次的マイナス面は実は表層的なものであり、そこから派生する社会生活全般においてのリスク要因の方がはるかにクリティカルであるのだが、それが見えないということは、対応策が必要であるという認識が社会に生まれることはないということである。

問題提起として日ごろの不満を述べたり、それを露出させることは可能ではあるが、それでもそれだけでは一般社会が「これは深刻な問題だ。早急に対応策が必要である」と認識し、転じて我々が快適に過ごせる社会にするには何が足りなくて、何があればよいのか?という認識が生まれ、それが具体化されるかというとそうでもない。(現にこの10年間を見るとそうではなかった。)なぜなら、ごくごく普通の人にとっては自分に降りかかる事象として捉えられることはできないからだ。患者から社会への恫喝(或いはクレーム)告知型から、提案共存型に移行する必要がある。何が、どのように、なぜ、どのくらい理解がされていないのか?を明らかにし、ではどのようにすれば理解を得られ、当事者意識に少しでも近い形でイメージされ、気持ちよく協力を得られるのか?ということを我々アトピー患者・家族は深堀りし、的確に伝えていく必要があるのだと思う。

私の場合、10年間アトピーに関する個人サイトとしてやってきたうちの約7年間は、まさに上記問題提起(ステロイドの薬害周辺の二元論)に終始し、そこでの宗教論争に堂々巡りであった訳だ。一般社会に認識されないというのは、当時は「社会が悪い。」と噛み付きつづけた訳だが、理解を求める気持ちが強く、大きくなるにつれ、結果はそれに反してギャップが広がりつづけたのではないか?というのが今